2014/12/31

ただの一日

 それはそれとして、お正月位はゆっくりしたいものである。(吉田健一)

 大晦日から正月あけて3日間は、ぼくも休み。というか、休む! ということにしている。今夜は(極貧の我が家としては)年に一度の贅沢をするとき。お寿司と、新鮮な刺身(ブツ盛合せだけれど、高かったお寿司に勝る素晴らしい刺身だ)、年越し蕎麦(今年は大瀧詠一さんの故郷・岩手からきた蕎麦)で、ぼくは日本酒を飲む。前から気になっていた中華街の一石屋酒店で、静岡の地酒を。これがまた吉田健一ふうに言うと「異常に美味しい水」のような酒で、こんなのを年中飲んでいたらやばいことになりそう? で、年内に今年のことをふりかえっておこうというような気に最近のぼくはまったくならず、まー、いろんなことは気が向けば年明けてからふりかえるでしょ? それで忘れるようなことは忘れてよし、ということにしている。光海にとっては、今日も、ただの一日かも。

2014/12/30

外はいい天気

 過去、一度たりとて音楽を制作する側がヒットを作ったことなんてないんだ。作る側はあくまでも“作品”を作ったのであって、“ヒット曲”は聴く人が作った。(大瀧詠一)

 忘れられていた(?)かもしれない「道草の家の自由時間」を更新。ま、つづきは年明けに。ことのはさんも気合いで(?)珍しくブログを更新しています。
 はやいもので、大瀧詠一さんが亡くなって、今日で丸1年。お正月には、「新春放談」を聞き返してみようかな。なんだか、まだお正月になると、大瀧さんの近況が聞けるような気がして。ま、ひとつ。(なんのこっちゃ?)

2014/12/29

個人的であればあるほど…

 素人でもどんどんこういうアーカイブを作ったらいいんじゃないかと思いますよ。すごく個人的であればあるほどおもしろくなるんです。(野上眞宏)

 ちなみに、『レコード・コレクターズ』最新号(2015年1月号)から。
 さて、今日(29日)で珈琲焙煎舎の年内の営業が終了。夜中にメールあり、今年も一年、がんばった店主に心のなかで拍手を送って。来年も美味しい珈琲と、アフリカキカクをよろしくお願いします。
 そしてこちらは今日も昼間は仕事で、夜は横浜での「よむ会」へ。「よむ会」も、よくつづいてる。ぼくはもう止めてもいいんじゃないかと何度も思っているんだけど、いつも「で、次は何にする?」と言われて、え〜と、どうしようか? って(笑)。大瀧詠一さんふうに言うと、「おわるまで、つづきます」って。その大瀧さんが急に亡くなって、明日で一年ですね。はやいなぁ。

2014/12/28

からす号

 こうです。おとうさんたちがつくっているアフリカのあたらしいごうができました。からすごう、です。よんでねー!

2014/12/27

「営み」のために

 今日は朝から夜まで『からすのチーズ』の作者を「支援」する仕事。とはいえ、どちらかがどちらかを一方的に「支援」するなんてことはありえないなー、という気分が最近はますます膨らんできていて。もちつもたれつ、の一日を過ごした。なによりふたりとも体調がイマイチだった。そういうときは休むにかぎる(いちおう「仕事」だと言われているので、体裁を整えるために、いろんな休み方を工夫する)。──とくに最近の自分は「外出」にも「支援」にも「しなければ」という気分にはならず、もっとゆるく、みんなを支える営みをつくることはできないか、と思う。なんかもう「仕事」ということばからも離れ、「営み」と言ってしまっているね。私たちの生きた「営み」をつくっていくための、『からすのチーズ』はその一例にしたいなぁと願う。

2014/12/26

みんなで聴いた。

 それでも少しのことがわかりかけてきた。人はどんな絶望的な情況におち入っても、希望を失わないという発見である。(石牟礼道子)

 今年さいごに顔を出しておこう、と思って、珈琲焙煎舎に寄ったら、『からすのチーズ』の「ぬりえ」に夢中で色を塗っている男性に出会った。その後、アトリエへ。今年さいごの授業をして、今年さいごの語り合いの場を。アトリエでのことは、こんどの『アフリカ』に載せた「ことばのワークショップ」という原稿で、いろいろ書いた。今夜は、『アフリカ』2011年6月号に載っているぼくの「暁雲によせて──追悼・井川拓」を学生のひとりが朗読してくれて、みんなで聴いた。

2014/12/25

初心に戻る日

 だから、このシンプルな歌をささげてる。1歳から92歳までの子どもたちに。昔から言われてきたことば。なんどもかたちを変えて。メリー・クリスマス・トゥー・ユー。(メル・トーメ「ザ・クリスマス・ソング」)

 道草の家では、クリスマスの日(12/25)はキリスト教の祝祭日でも「消費の神」の祝祭日でもなく、ぼくがことのはさんにプロポーズした日ということになっていて、毎年、家でのんびり一緒に過ごすのは(24日ではなく)25日と決まっている。慌ただしい日々から片足を上げて、夫婦で、初心に戻る日、かな。夜は、蒲田のお母さんが焼いてくれたチキンと、ぼくのつくったトマトソースのパスタと、買ってきたケーキを食べて、たくさんのクリスマス・ミュージックを聴きながらゆったり過ごした。
 光海にとっては、はじめてのクリスマス。朝、起きて、枕元に小さな赤い靴が置いてあるのを見つけた彼は、最高の笑顔でそれを手にしていました。よかったねぇ。

2014/12/24

さまざまな歌

 今年ものこり10日、ことばのワークショップで、「極私的2014年の十大ニュース」を考えようという企画をやってみたけど、ぼくにとっての今年のトップ記事は、どう考えても、ねぇ。でもそれ以外にもいろいろあったんですよ。その、いろいろを思い出すことも、この季節の大切な行事だと思っています。

2014/12/23

歌声と太鼓

 子どものころにサンタクロースとか、ドラゴンとか、いるはずのない架空の生き物を心底いる、と信じることが人間には必要なんです。(渡辺茂男)

 先日の『からすのチーズ』先行発売でお世話になったゴスペル・クワイアCHOUBが、蒲田駅西口のクリスマス・コンサートに出演。「外出支援」のついでに聴きに行ってきた。ビル街に響き渡る歌声と太鼓。おだやかな日だった。

2014/12/22

にさつのえほん

 こうです。かごしまのばあばからクリスマスのプレゼントがとどきました。にさつのえほんは、おとうさんがおさないころによんで、よみすぎてバラバラになっていたほんだそうです。にさつとも、きれいです。ずっとたいせつにします。ありがとう!

2014/12/21

いのちの歌

 「山下達郎 Performance2014 Maniac Tour」の初日を観に行ったのが7月で、それ以来、「旅」をつづけてきた山下組の、今年さいごの公演を観に行ってきた。竹内まりや「Souvenir 2014」の、千秋楽。竹内まりやのコンサートは、2010年の12月に、同じ日本武道館で観て以来、4年ぶり。4年前には、個人的にもいろんな思いがあり、ラストの「いのちの歌」を聴いて、そのころのことが吹き出すように思い出された。ぼくはバンマス・山下達郎さんを見下ろすような位置にいて、たくさんの楽器を操り指揮を執るその姿に、あらためてホレボレ。ミュージシャンたちの演奏も、いつも通り、素晴らしかったのですけど、なにはさておき、ラジオで最初に聴いて以来、約20年を経て、ようやくライブで聴けた、あのふたりの「Let It Be Me」の、ハーモニーの素晴らしさ! ここのところ、ずっと走り回っている感じでしたが、ひさしぶりに休みました。また次、です。

2014/12/20

時間の奥行き〜荻野夕奈個展

 降りしきる雨のなか、TOBARIER GALLERY&CAFEで開催されている荻野夕奈個展へ。今回は、タイトルのない(「荻野夕奈」というタイトルの?)新作展のようですね。荻野カラーとでも言うべきか、この人の作品世界を支える色の、手前に、奥に、さまざまな生き物と、静物、彼らが生きる「庭」の細部、そこに吹いている風とか降ってくる雨とか(昨日は実際に雨が降っていた)がクローズアップされて見え隠れする。その時間の奥行きを、今回はじっくりたのしみました。28日(日)まで。

2014/12/19

面白い話

 つまり、障害のある人の作品がアウトサイダー・アートなのではなく、視覚イメージの社会的な操作という網をかいくぐった表現であるアウトサイダー・アートには、結果的に障害のある人の作品が多く含まれているということだ。(服部正)

 今夜は、週一回のアトリエの日。『からすのチーズ』ができてから、はじめての授業なので、スタッフにも、学生にも、お披露目の日になった。ぼくにとっては、彼らが何と言うか、アトリエの先生がどうみるか、とても重要だったのだけれど、『からすのチーズ』の絵についても、ことばについても、面白い話がたくさん聞けて、涙が出そう。一部のスタッフには、制作段階から相談させてもらって、お世話になっていた。けれど、やっぱり、著者と同じような位置から(今日は詳しく書きませんけど)モノを言える人に応えてもらうのは、何より嬉しい。
 もちろん授業はしっかりやってます。センター試験まで、残り4週間!

2014/12/18

いい感じ

 今夜も遅くまでやっているが、『アフリカ』最新号のセッションは、ようやく終了。あとおふたりとの確認作業が朝にあり、そのまま入稿です。体力、精神力をけっこうつかうというか、つかれる。以前、ある人から、「なるほど! ここまでやっているわけですね!」と言われて、へー、ほかの〈個人的な雑誌〉はやってないの? と思ったのをちょっといま思い出した。
 最近はとくに仲間に助けられてる。こちらも助けを求めるのが少しは上手くなったような気がする。まだまだ、と言われそうだけど。『からすのチーズ』も、じつは『アフリカ』の仲間がいなければ出来なかった。信頼できて、技術的な裏付けも、知識もあり(なければすぐに勉強できて)、本をよく見ていて、見かけではなく内容をつかむことができ、ついでに融通がきき、となると、けっこういない。ついでに、ここからが大事なんだけど、みんな得意なことがバラバラなほうがよい。ジョンとポールとジョージとリンゴの音楽性は、ちがっていたほうがよい。なんか、いつのまにか、いい感じかも?

2014/12/17

毎日、毎日

 一日をどんな気持ちで終えるかは、案外重要なことではないかと思っています。(竹内まりや)

 毎日、毎日、けっして平坦ではない。ぼくは家でパソコンに向かったり書いたりする時間をどう捻出するかに苦悩する一年だった(自分の場合、やらないですむならそうしたい気もするが、やっぱり捻出する必要があるのだった)。今日も「バタバタと焦ってつくっても誰も得をしない」と仲間に励まされながら、『アフリカ』の24回目のセッションも、いよいよエンディングが近づいてきた。
 『からすのチーズ』は、いよいよ明日、珈琲焙煎舎に「入荷」予定。徐々に店舗(委託)販売もやっていきます。本格的に販売を開始する前に、すごく好評で、ちょっと驚いていますが、まだまだ、これから。末永く愛される本になりますように。

2014/12/16

少しでも寝る

 絶対にやると決めたことなのだけれど、昨夜も半分徹夜のような状態で、今日は朝から夜まで「外出支援」で、しかも異常に冷たい雨に濡れてヘトヘトで。よし! 少し寝よう、と決意したところ。

2014/12/15

伝言

 光海です。お父さんは今夜は仕事で忙しくて、道草ができないそうです。

2014/12/14

マイ・ギフト・トゥー・ユー

 今日はことのはさんが熱を出してしまい、外出支援の代打を依頼して、ずっと家にいた。日曜に家にいるのは久しぶりで、ということは久しぶりに「サンソン」を放送時間に聴いた(いつもは録音で聴いている)。今日はいつものレコードを聴くプログラムではなくて、達郎さん自身の未発表ライブ音源をかける回。今年の「マニアック・ツアー」で素晴らしかった「スペイス・クラッシュ」を聴きたかった!(あと「雨の女王」も!)うちは大変だったけど、願いが叶って幸せな午後。そうそう、選挙も、アホらしいと思いながら行きましたよ(そのへんの詳細は省略)。
 『からすのチーズ』の詳細(セットの具体的な中味とか?)、明日にでもお知らせできるかな? という予定です。じつはぼくは『アフリカ』入稿直前で、それでも倒れそう。ゆっくりペースなのは、どうかお許しください。写真は、昨日の「先行発売」のあと、コンサートに出演したピエロのようへいくんとしむらまさとくん!

到着を待つ

 絵本『からすのチーズ』、できました。詳細は、Facebookページでお伝えしているとおり。本日、ゴスペル・クワイアCHOUBのクリスマス・コンサートで、ご購入いただいた皆さまは、ありがとうございました! そして、いつも応援くださっている皆さま、できたよ! と。いろいろお伝えしたいのだけれど、今夜は、ひとまず、この写真で。絵本が届く、直前の、到着を待つ〈母〉の写真。この時間が、ぼくは好きです。

2014/12/12

パートナー

 努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。(サン=テグジュペリ)

 光海は少しずつ快復して、ホッとしてる。ぼくはというと、やはり体力的にきつくて、珍しくアトリエの授業を休みたいと思ったが、がんばって行くと、なんだかとても元気が出た。いま、そのアトリエでの時間のことを書いている(『アフリカ』次号に載せます、もう入稿間際だけれどまだ書いてる)。
 絵本『からすのチーズ』は、10年来のパートナーである大阪・堺のニシダ印刷製本から、いまこちらへ向かっている。明日のコンサートで、予定通り「先行販売」できそうです。写真は、今回の絵本や関連グッズ、広報素材としても使われなかったアウトテイク。この日、『からすのチーズ』のもとになった絵を見せてもらったのでした。

2014/12/11

また明日

 ぼくにつづいて、光海が風邪をひいてしまい、夜になってから生まれて初めての高熱を出したりして、今日はたいへんだった。それで、仕方のないことだけれど、ぼくの作業も、なかなかうまく進められない(ごめん)。さらにそれに輪をかけるように、深夜に『アフリカ』の組版で重大な問題点を見つけて苦戦していた。しかしなにはともあれ、光海の熱は下がって眠ったので心からホッとしてる。ぼくの仕事も、つづきは寝て、起きて、光海を病院に連れていってからにしよう。へとへとです。

2014/12/10

絵本の勉強

 昨日からどこへ行っても、ものすごく空気が乾燥していて、今朝起きたら喉がガラガラ、微熱も出てきていて、体がだるい。移動支援に出る気力がちょっとない感じで、風雷社中事務局と相談して今日は休ませてもらった。いま、疲れが出るころか。夕方から少し寝て、夜は鶏ガラとネギと生姜でスープをとって、ニンニクも入れた鶏鍋に。それで雑炊をしたら、少し体が元気になりました。

 『からすのチーズ』をつくるにあたって、いろんな絵本を見た。予算の関係と、「手軽に持ち運べるような本がいい」というアイデアから、上製本(ハードカバー)ではなく、いつものようにパンフレットふうの本にしようと思っていた。けれど本屋に行くと、絵本コーナーには、けっこう「カッチリした本」ばっかりだった。それでも古本屋をめぐると、外国の絵本とか、日本のでも昔の絵本には、軽い造本の絵本がけっこうあった。どうして、いまの日本の本屋に売っている絵本は、ああも「重い」本ばっかりなんだろう?

『からすのチーズ』のちらし

 絵本には大人の絵本と子供の絵本とがある。ただ絵本といえばまあ普通は、誰でも子供のためのものと思うだろう。(武井武雄)

 と、思ってますかね? そこは、どうして、いま、このタイミングで、アフリカキカクから、つまりぼくの手元でつくられたか、と考えると、とくに『アフリカ』の熱心な読者のミナサマなら、まーあるていどは想像できると思いますけど。でも、まー著者は「こども」ですからネ。ははは。でも「こども」に、ぼくはとってもたくさんのことを教わってますよ。どう?
 その『からすのチーズ』、ちらしができました。下窪くん力作の。お寿司じゃないよ。「スペシャル・セット」のグッズ関連もできあがってきて、あとは二冊の本が、印刷・製本からあがってくるのを待っています。これを読んでいるミナサマは、騙されたと思って。これは一家に一冊、ですヨ。ご予約のミナサマ、ありがとうございます。そろそろ返信を、と思ってます。

2014/12/08

道草深夜便

 「失敗してもしょうがない」って思えるほうをやったほうが良い。(寄藤文平)

 今日は休みで、光海の相手ばかりしていた。で、ぼくの「休み」というのは「家にいられる」という意味で、「家で休める」という意味ではなくて、自分の仕事は山積み。光海が寝た夜中に、ごそごそやっている。『からすのチーズ』の販売・宣伝・営業活動も進めなきゃいけないし、「プロデューサー」の仕事もイロイロ。「ことばのワークショップ」関連も細々したことが残っていて。ほかの仕事の事務作業もアレコレ。さいごに残るのがいつも『アフリカ』なのだけど、自分の原稿がサッパリで、入稿予定の日だけ近づいてきて、こうなったらもう焦る気もしない。内容は決まっているので、書けることを書けるだけ書く、というだけ。でも、いつやるんだい? 家にいるときには家にいなければできないことを進める。たとえば、デザイン・ワークとか。今夜もまだまだこれからです。

2014/12/07

海とヤマ

 世界はわたしのからだと同じ布地で仕立てられている。(メルロ=ポンティ)

 昨日と同じ人と、今日は三浦海岸にいた。「外出支援」という仕事、ぼくは仕事だからいいが、休みなはずの週末に、ずっとどこかへ「外出」していなければならない彼も大変だな、とも感じつつ、彼の好きな場所や過ごし方をなるだけ選んだつもり。ぼくと共通のことばをもたない(あるいは使おうとしない)彼、どこまで通じていたか(彼から自分に)わからないけれど。
 帰宅してご飯を食べたら、今夜も光海と一緒に眠ってしまっていた。が、明日は休み。少し起き出して、メールを書いたり、送られてきた原稿を読んだりしている。そうそう、『アフリカ』次号の完成まで、あと僅か。送られてくる原稿に、はじめて目を通す時間が、なによりも嬉しい。この時間のためにやっていると言っても過言ではない? その『アフリカ』は今週がヤマ。最近、ヤマだらけで可笑しい。今年も、あと少し。

2014/12/06

寝不足の海

 土曜は寝不足過剰で「外出支援」へ。しかも9時間のロング旅。なりゆきで江ノ島まで行ってしまい、海を眺めて帰ってきた。で、あまりの疲労感に、ばったり寝てしまいます。

2014/12/05

ジュークボックス

 本人は大真面目なんだけど、見ているほうからすると可笑しくてしかたないっていうほうが普遍性を得ているというか、歴史の試練には耐えるっていう、皮肉なもんですけどね。(山下達郎)

 今日はアトリエに向かう前に、新宿で降りて、タワーレコード(新宿店)で展示されている大瀧(詠一)さんの所蔵していたジュークボックスとか、リッケンバッカーとか、いろいろ覗いてきた。で、アトリエで学生に話していたら、ジュークボックスが具体的にどういうものか、よくは知らないようだった。

 ま、いろいろあるんですけど、また明日。

2014/12/04

心をとばす

 『からすのチーズ』サイトで予約を受け付けたら、続々とメールが届いてる。ミナサマ、ありがとうございます(著者のファンの方が大半だと思います。つくってよかった! と思える瞬間です)。
 で、じつは、例によって見切り発車で、それにじっくり返信をする余裕がない。とほほ。とはいえ、絵本をお届けできるのは今月中旬以降なので、もうしばらくお待ちくださいね。

 急に、ある人のことが気になって、心配になり、メールを書いたり、話したりしていた。弱っている人には、きびしい季節かもしれない。どうぞ、お大事に。お互い、やすみやすみ、ゆきましょう。

2014/12/03

一歩一歩

 道近しといえども、行かざれば至らず。(筍子)

 3月12日に生まれた、道草の家のこども、光海(こう)。はやいもので、今月で9ヶ月になります。ね? すっかり〈いっちょまえ〉です。ここのところお父さんが夢中でつくっていた絵本、はやく君に見せたい。
 その絵本のサイト──『からすのチーズ』スペシャル・サイトを、本日、大幅に更新。3/12(土)、著者も出演するゴスペル・クワイアCHOUB(シューブ)のクリスマスコンサートの会場での「先行販売」が決定! その他、イロイロ更新してます。
 光海と親子三人のささやかな暮らしがあり、ぼくもあまりムリはできないのだけど、それでも一歩一歩進めば、かならず行き着く。未来はかならず、その先にある。のですね。

2014/12/02

楽しい夜更し

 人間、何もしてない時のほうが忙しいんだよ。(大瀧詠一)

 『からすのチーズ』は、じつは制作のほうが難航(?)していたので、宣伝・営業活動がまったく疎かになってしまって、まだまだこれから。スンナリいかないのも、自分らしいか。どうもスミマセン。でも楽しいよ、笑。明日(まで)にはまた新アナウンスが出来るかもしれないので、また書きます。サイトのほうもご覧くださいね!

 大瀧さんの初CD化シングル・バージョンや未発表のミックス、カラオケなどがイロイロ入った曰く「ベストアルバム」、さっそく買ってきて聴いています。世間的に、本来の意味での「大瀧詠一」が認知されるのは、まだまだこれから、なのかもしれないね(なんかヘンな表現ですが)。で、ある曲のカラオケ・バージョンを聴きながら、ひとりでものすごい発見をしてしまって、今夜はビックリ仰天しておりました! いや〜。

2014/12/01

12月の雨の日

 おかしな言い方ですが、孤独は、分かち合うことができます。(エリーズ・ボールディング『子どもが孤独(ひとり)でいる時間(とき)』)

 8月以来のご無沙汰です。〈道草ファン〉のミナサマ、お元気ですか?

 すでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、アフリカキカクの装い新たに本づくりをはじめています。第1弾は、しむらまさと絵本『からすのチーズ』という、ある意味、爽快な絵本です。11月は、ずっとその準備に追われていました。

 今月は『アフリカ』次号もあります。なので、この年末、いろいろあった2014年の暮れに、また「新・道草のススメ」の日々をつづってみたいと思います。今回は、正月までの更新になりそう。で、12月の最初の日は、雨でした。

2014/09/01

さよなら夏の日

 どうかぼくを幸福にしようとしないでください。それはぼくに任せてください。(アンドレ・レニエ「半ばの真実」)

 昨日は更新できずに、疲れを抱えて眠りこんでしまい、気づいたら9月だった。朝、やさしい雨が降っています。この「新・道草のススメ」は、昨年の6月まで約3年間(もともとは府中市美好町に“ひきこもって”いたぼくの生存確認のために?)、ほとんど毎日更新しつづけた「道草のススメ」の後日談みたいなものですが、3月に光海の生まれた前後の記録を残したくて書き、この8月は『アフリカ』最新号と「ことばのワークショップ」のプロモーションのため(?)に書いてみました。もちろん両方とも“つづき”がありますから、このまま書きつづけていたい気もしますが、ウェブでの情報発信(と受信)にかんしても新しく考えていることがイロイロあり、ひとまず、今回もここまで。1ヶ月間、ご愛読ありがとうございました。つづきは、「道草の家の自由時間」で!

2014/08/30

「ことばのワークショップ」

 この世で一番大切な事は、自分が「どこ」にいるかという事ではなく、 「どの方向」に向かっているか、ということである。(O・W・ホームズ)

 きっかけは、用件のちがった手紙のなかにぼくが「ことばのワークショップ(のようなこと)をやってます」と書いたことだった。たしかに、何かのついでには、やってきたことだ。けれどぼくには、それがそれ自体、独立したものとして、どんな人に、どれだけ通用するものなのかは未知の世界で。けれど、ちょっぴり不安のあったぼくを支えてくれたダイバーシティ工房のスタッフは確信をもって、ある意味、内容にかんしては(実際に見る前から?)自信満々で。ま、ほとんど、そのとおりだったわけです。
 こういう時間は、やっぱりたのしい。発見に満ちていて、勉強にもなる。真剣だけど、笑いがたえない。ほとんど話さなかった参加者も、身を入れてそこに「いる」ことがすごく伝わってきた。

2014/08/29

珈琲屋の雑誌

 プライベートプレス『アフリカ』はここ、つまりは府中市美好町の「珈琲焙煎舎」が発行所となっている。同時代を生きる普通の人たちの生活や思考の貴重な記録だと思っている。 (ある読者)

 今日は前々から「オフ」ということにしていた。数日前から、家で過ごすか、出かけるか、迷っていたのだけれど、やっぱり出かけることにして…
 『アフリカ』の校正者と一緒に、国立本店に寄り、珈琲焙煎舎へ顔を出してゆっくりお喋りしてきた。その焙煎舎、『アフリカ』は昨日から販売中だけれど、さっそく売れているそうで、いつもありがとうございます。また近々、「読者のつどい」みたいなの(?)をやりたいなぁ。できるかな?
 ひとまず今夜は、明日の「ことばのワークショップ」にそなえて、はやく寝ます。

2014/08/28

こし雨

 夜の雨の音は/さびしい胸にともしびのやうにともる(八木重吉「雨の音」)

 『アフリカ』最新号、本日から珈琲焙煎舎にて販売開始。ちなみに明日(金曜)、少しだけ顔を出すつもりです。「道草の家の自由時間」にも、あれこれ書きましたので、ぜひご覧ください。

 この時期にしてはいやにひくい気温のなか、雨が降りつづいてる。山下達郎のレパートリーに「こぬか雨」というのがあるけど、昨夜からはまさにそんな雨で、と言いながらいちおう調べると、「細かい糠(ぬか)のように降りかかる雨。煙るように、空中をただようように静かに降る細かな雨」。それが今夜は、「こし雨」のよう。しとしとと降りつづける長雨。日本語には雨のことばが多くて、あまりに多いので面白くなって、こんな本をつくる人も出てくるわけだ。

2014/08/27

秋が来て、また夏が来る?

 人はどこかで生きていかなければならないし、何がしかの人にならなければならないのです。(デイビット・ミッチェル)

 昨日から急に訪れた秋は、どうやら今週末で終わって、また夏が来るようなことを言っている。今夜も、寒いくらい。

 今日は『アフリカ』最新号のことを書く! と言っておいて、今夜は仕事のつづきが終わるまで、手が離せないところです。明日の朝くらいまでには書くと思います。「道草の家の自由時間」、覗いてみてくださいね。

 と思ったら、高城青が書いてくれていました。ご覧ください。「高城青と、あとひとり」を。

 写真は、山手から石川町、元町方面へ抜けるトンネル。

2014/08/26

秋へ

 今日は急に涼しく、秋のような日。朝から外出支援に出たら、もう眠くて眠くて。体がついてきていない感じ。とはいえ、これから年末にかけてが、個人的には最も好きな季節なので、心地いい。久しぶりに気持ちもノってきて、頭も冴えているので、いろんなことに気持ちが向かうのが感じられるし、じつは昨年から沈みっぱなしだった自分のなかの一部分があり、それがようやく戻って(?)きた感触。他人には知りようもないことだけれど…

 「道草の家の自由時間」を更新して、ダイバーシティ工房のイベント「READYFOR? キックオフイベント」(9/13)について書きました。それから、『アフリカ』の珈琲焙煎舎での販売開始は木曜(8/28)になりました(明日・水曜は定休日)。なので、それについては、明日書くことにいたしましょう!

2014/08/25

小さい目立たない救いの話に

 幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、 自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームズ・バリー)

 『アフリカ』最新号、定期購読の皆さんや関係各位へは本日発送。たいへんながらくお待たせしました。珈琲焙煎舎では、遅くても(定休日あけの)木曜には販売開始になる見込みです。しばらくお待ちください。
 今回の目玉は、なんといっても高城青の小特集。インタビューのタイトル「小さい目立たない救いの話にしたかった」というのは、やりとりの隙間に、青さんから思わず飛び出してきたようなフレーズで、そのことばをすくいとった『アフリカ』の編集者は、「青さんらしい」と思うと同時に、『アフリカ』の書き手らしい、というふうにも思うのデシタ。
 今回は前回にもまして出回る冊数が少ないので、絶対読みたい! という方はお早めに。多少は残るように計算(?)して宣伝をサボっておりますが…

2014/08/24

時間泥棒

 真実を愛するのはよいことだが、過ちは許してあげなさい。(ヴォルテール)

 時間泥棒が入ったようで、じつに時間がない。宿題が山積みのまま、この週末もアッ! と言う間もなく過ぎた。関係各位、必要なときまでには必ずやりますから、お待たせしている方はお待ちください!(当たり前か…)
 『アフリカ』の宣伝や、ダイバーシティ工房でのイベント情報などを早く出したいのですけれど… 今夜はひとまず『ふうらいラボⅣ』の毎月一回の「編集部便り」から書きました。なんでこれから? とは言わないでください。今日が〆切だったんです(笑)。相変わらずへらず口(?)ばかりですが、ニヤニヤしながらご覧ください。
 光海は、『アフリカ』の新・宣伝部長に就任するよ! と言っています?

2014/08/23

セイウチ号

 暗くならなければ、星は見えない。(C.A.ビアード)

 堺のニシダ印刷製本から、『アフリカ』最新号が届いた。まずは表紙から。
 ニシダさんとは、もう10年の付き合いだ(最近、インターネット上で広告をよく見る、たぶん、それだけ需要があるのだ)。最近、大阪の愉快なドモリスト仲間たち(NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)がつくった冊子(『吃音を生きるⅡ〜どもる人たちのサバイバル』)もニシダさんで印刷・製本していて、それもついでに送ってもらった。親しくしているSさんが組版をやっているみたいなんだけど、かすかに『アフリカ』の影響が垣間みられて、ひとりでクスクス笑っている。
 で、肝心の『アフリカ』最新号にかんして、詳しいことはまた明日。発送からやりますので、定期購読の皆さま、もう少しお待ちください。

2014/08/22

 ちっぽけな街に生まれ 人混みのなかを生きる 数知れぬ人々の 魂に届く様に(山下達郎「蒼茫」)

 親しくている、ある方から思わぬ、粋な贈り物をいただいた。「すでに持っているかもしれないけど、朝日新聞はないでしょ?」などと言われつつ。いやいや、何新聞でも持っていませんでした。光海の生まれた日の朝刊。一面はやっぱり3.11で、トップには「あなたを思う 生きていく」という大きな文字が。誰からって? 秘密ですけど、あの、ぼくにとって第三の故郷の、いまでは実家のよう(?)になっているあの店の、あの方の家族から。一生モノだ。ありがとう!

2014/08/21

休むのも仕事

 生きてゆくということはほんとうに骨の折れることである。(宮本常一)

 今夜、道草支援(外出支援とも言う)から戻ると、妻がへたばっていて表情をなくしており、ずっと泣きわめいていたという光海はぼくの顔を見てニッコリ、あぁ、休ませないとなぁと思う。
 休むのも仕事。とはいえ、放っておくと休んでいない。そこは、意識しないといけないんだ。

 しかし、もう少し涼しくならないか。ねぇ。

2014/08/20

暑さの質

 コミュニケーションでもっとも重要なことは、相手が言葉にしなかったことを聞くことだ。(ピーター・ドラッカー)

 とにかく暑い。あまりの暑さに、夏というのは、こんなに暑かったか… なんて言っていたら、ちがう場所で会った数人が同じことを言っていて「年々暑くなっている気がする。気温の数字だけ見たら大きな変化がなくても、暑さの質が変わっている気がする」と。ぼくも同感。だけれど、ここ数年の話ではなく、この数十年の話にしてみると、どうだろう? 自分が子どものころ、どんな暑さだったか、よくよく考えてみようとしたとき、あまりよくは覚えていないことに気づく。
 これを読んでいる皆さんは、どうですか?

2014/08/19

小さな塾で

 今日は午前中から大田区で外出=出勤支援をして、夕方からは市川へ。初訪問から数ヶ月。いよいよイベントや、いろんな新しい試みがはじまる。わくわくしているところです(先日「道草の家の自由時間」に書いた以外にも追加情報があるので、数日中にまた書きます)。

 写真は、国府台(こうのだい)にある自在塾(&スタジオplus国府台教室)の庭。

2014/08/18

よい日、の一例

 誰も知れない見ず知らずの小さな人々と、ある交換をしようと思う。その気持ちから、いいプロジェクトは生まれるんです。(アキッレ・カスティリオーニ)

 今日は本当に暑い一日だった。けれど、夕方には涼しい風が吹きはじめたので、親子三人ではじめて、近所の根岸森林公園へ散歩へ行ってきた。芝生までたどりついたら、光海をベビーカーから抱き上げて、彼が最近、大好きな「たかいたかい」をたくさんした。
 それ以外は、今日は、ずっと道草の家にいた。こんな日は久しぶりだ。冷房のきいた部屋で、積み残している課題や宿題に取り組んだ。進み具合は、まぁまぁかな。でも、進めるのは日々、少しずつやるしかないので、今日はその準備ができた。それが思った以上に大きかったかもしれない(あとにならないとわかりはしないが)。なにはともあれ、よい日だった。きっと、明日にもつながる。よい日だった。

2014/08/17

海と夢

 今日の道草(外出)支援では、電車に乗って行けるところまで行こう! と、出かけて熱海まで行ってしまった。何もしなかったんですけどね。ご飯を食べただけ。あと、海を見た。海の上の雲に、目が奪われる。

 夜になって帰宅して、ご飯を食べて、子をお風呂に入れたあと、ばったり眠ってしまって、夜中に起きる。夢のなかに、もう10年、20年も会っていないような人(もう会うことはないだろう)や、数年に一度くらい、たま〜に会うけれど滅多に会えないような人が出てきて、一緒に「教室」のような場所にいた。いまだに「卒業」できていないとか、いまだに「退職」できていないという夢を、たま〜に見る。おかげで、なつかしい人たちに会えた。

2014/08/16

「自作解説をしてみよう!」

 吉祥寺美術学院のアトリエで夏に開催している「作文セッション」、今年も終わった。イベントとしては、ちょっと荒れ模様(?)で、仕切り役としては反省点も多かったが、三年目にして一番、個人的な手ごたえは大きかった。
 参加者はいつもと同様、アトリエに通う学生たちと、卒業生(大学生が中心)や縁のある人たち、あとスタッフ。ただし今回は、テーマが「自作解説をしてみよう!」で、いつもとちょっと違った(以前は「好きな色について」とか「好きな場所」についてとか、もっとザックリとしていた)。若い人たちには、少しハードルが高かったかな? そのハードルの高さが、よかったような気がする。各人の抱える問題が浮き彫りになったり、意外な発見があったり、成長ぶりが伝わってくる人もいた。参加者のなかには、いろんな葛藤も見えた。苦しさもあり、喜びもあった。
 こういう(いわゆる)ワークショップは、スムーズに執り行う工夫も必要だけれど、冒険も要る。バランスが難しいけど、手探りでやってます。

2014/08/15

陽気な絶望者

 見なれたそんな場所がいつもと少し違うように思いました。見直す気持ちになりました。あの人たちの〈不在〉が際立っているからでしょうか。(小川国夫『弱い神』)

 太平洋戦争の、終戦の日。4年前のいまごろ、渋谷の映画館・アップリンクでは『デルタ 小川国夫原作オムニバス』が公開中で、8月15日には、ぼくも上映後のささやかなトーク・ゲストに立った。そのときに、前のほうの席でぼくの話を聞きながらケラケラ笑っている男性がいて、その夜、出会った。彼はその7ヶ月後に急に(強烈な印象を残したまま)亡くなって。その後、死者に導かれるような展開がいろいろとあったのだ。今夜は、彼が生前、親しくしていた──いまは、ぼくが代わりに(?)通っているアトリエで、毎年・夏恒例の「作文セッション」をやります。
 4年前にぼくがつくった小冊子のタイトルは、『海のように、光のように満ち』。小川国夫の何かのエッセイのなかにあります。なぁんて。

2014/08/14

ある種の呑気さ

 世事万端、当時まだゆったりとした人間の気風がのこっていて、それを封建的というなら、今日、主権在民とはいうものの、なにやら世知辛い首都東京のささくれ立った環境とは、別のものがあった。(桑原甲子雄)

 最近、図書館から桑原甲子雄の写真集を何冊か借りてきて眺めていた。満州紀行以外は、東京を写したもの。身近なものしか写さない人なんだ。『夢の町』という本には、昭和9年から19年までの写真(モノクロ)が入っていて、真ん中付近になぜか、この写真集の編まれた1970年代のカラー写真がちょっと挟み込まれている。ぼくが見ているのは、太平洋戦争に突入していく前夜の、東京の町の、人びとの、明るさだ。そしてぼくがなぜいまこの人の写真にすごく惹かれているかというと、ただ撮っている、といった感じの、ある種の呑気さと、町や人や時代にたいするまっすぐ(素直? 中立的?)な姿勢があるからだ。今夜は、写真ではなく、エッセイ「庶民の頭越しに戦争の足音が…」という短い文章を読んでいる。

2014/08/13

手が動く

 外での仕事を終えて家に帰ってきたら、子の相手をして、家事もしなければならない。妻子が寝てから、自室に入って仕事をする。すでに決まっている仕事もあれば、定期的な「作業」もあるけれど、これからつくらなければならない仕事もあり、いくら時間があっても足りず、もがいている感じ。でも、ある方がつぶやいていたんだけど、はじめてしまえば、手が動く、ということはある。手が動いている、その瞬間、瞬間はいいものだ。立ち止まって、状況を確認したり、現実を思い知るときには、ふさぎ込みたくなる。自分はもうダメなんじゃないか、と意味もなく(とも言えないのがさらに苦しい)思ったりもする。でも、そう思っているときには、「自分」が自分のものでなくなっている気がする(誰のもの?)。手が動いている瞬間、瞬間は自分のものだ。疲れると、子の寝顔を見に寝室へ下りていく。

 写真は、蚊帳のなか。毎晩、吊ってます。