2016/09/30

「人」に注がれる眼差し

 私達は陰で小川感心居士などといってゐた。小川君はよく物に感心する方で、時には一緒について行けない事もあり、こんな仇名をつけたりしたが、小川君が感心居士である事も小川君の仕事を完成さす上に実は大きな役目をしてゐるのだと私は思う。(志賀直哉)

 授業で「奈良登大路町」をとり上げるので読み返していたら、いろいろ気になってきて、作者・島村利正のことを調べてる。ついでに、その小説にも出てくる飛鳥園の小川晴暘さんのことを書いた「伝記的」な小説『奈良飛鳥園』をインターネットの「密林」で220円で見つけ、取り寄せたらすぐに届いて、読みはじめたら止まらなくなった。
 ぼくは仏教美術にも古美術写真にもあまり縁がないけど奈良には多少の想いがあり、“文学少年”だった島村利正の小説によって21世紀になってから(小川晴暘という人の存在を)知った。ぼくは島村の「人」に注がれる眼差しに打たれる。──つよく励まされる。(「打たれる」ということば、好きですね。)

2016/09/29

引退試合

 光海のオムツを買うために関内に降りたら、横浜スタジアムはベイスターズの今季最終戦で、三浦選手の引退試合をやっていた。
 三浦も活躍した1998年、ぼくは大学に入学した年で、ベイスターズがリーグ優勝して、西武との日本シリーズにも勝った年、テレビで横浜スタジアムを見ていた。10数年後、あの球場の近くに住むことになろうとは。
 今年はまだこれからクライマックスシリーズを控えてる。球場の外もいい感じ。ただし今夜は負け試合。引退試合には負け試合が似合っているような気がする。

2016/09/28

湧き出す雲

 はっきりしない天気がつづいているが、朝だけ晴れていて、こんな雲が見えた。このあと一気に雲が空にひろがり、ずっと薄暗い日になった。空を見ているのが好きだ。

2016/09/27

エイト・デイズ・ア・ウィーク

 時間ができたので仕事後にびゅ~んと有楽町へ。ザ・ビートルズの例の映画、観てきました。いや~! お腹(お目めとお耳か)いっぱい。観たことのなかったライヴあり、白黒しかないはずの映像に色がついていたり。手を入れまくった結果としての生々しい(表現へんか?)ライブ映像と、もちろんサウンド(ABCシアターのライブ「Twist & Shout」の素晴らしさ!)。「コンサート・ツアー」をめぐる、彼らと、彼らをとりまく人々、ファンたちの新旧の声を集めて検証した映画。アメリカにおける60年代前半〜中盤の変化(混迷?)してゆく文化状況を描いた映画。で、万が一自分がビートルだったとしてもライヴはもう絶対にやりたくないと思った。とてつもなく酷い状況だもの。始まったものは終わる、終わるべくして終わった「騒ぎ」だったんだなぁ。(彼らが「民主主義」ということばを使っていたというのは何とも考えさせられる。「民主主義」とは、上手くいっているときはすごくいいもののようだけど、上手くいかなくなるとじつに最悪な状況を巻き起こすもののようだ。)

2016/09/26

自然の産物

 疲れが出たのか、この季節にしては高い湿度のせいか、朝からからだがだるくてしょうがない。しかし今日は休みだ、家でやらなければならない仕事はてんこ盛りだが、ムリしない、というのが信条(大げさ!)でもある。というわけで、昼ご飯を食べてからは、覚悟を決めて(さらに大げさ)家族三人で昼寝。気づいたら夕方で、なんという理想的な「休みの日」なんだろう。夜はつくり置きのおかずをメインにご飯を食べながらお酒を少しだけ飲み、また眠る。

 2009年の12月に最後に勤めた会社を辞めたときに、これからぼくの仕事は「ぼくという人」でしかないやり方になる、というようなことを書いた。急に何かが劇的に変わるということはないが、決意して放っておいたら、徐々に、自然と出来ていくことだ。で、仕事は明日からだ。と、開き直るような日も要るね。

2016/09/25

自販機と彼の撮影会

 晴れた! 久しぶりに。気持ちがいい。そして少し暑くなった。ぼくは今日もしむらまさと君の「付き人」で、自宅&外出の「支援」という仕事。今日は彼の「御用達」の自販機で彼が好んで買っている「オレンジジュース」が「売切」になっていて、大事件! 「ガッカリのポーズをして写真を撮りますか?」とお伝えしたら「うん」と言いながら頭がガックリ下げてお辞儀をしたようなポーズを見せてスマホで写真を撮った。すると「いまのNG。もう一度」と言いながら「やっぱり買うだけ買ってみる」と小銭を取り出しはじめた。が、小銭がない。「千円札を入れておつりをもらいますか。たぶん(買えないとおつりも)もらえないけど」と話すと「やっぱりいいや」とのこと。もう一度「お辞儀」をして写真を撮影。「もう一度」と言われたがカメラマン的にはOKなので一応終了。昨日のコンサートから明けて、のんびりした日になった。

2016/09/24

アフタヌーン・コンサート

 本日、東調布教会(ぶどうの木幼稚園)で行なわれた「Afternoon Concert」へおこしくださった皆様、心からありがとうございました! しむらまさとの歌も「いいきぶん」でしたね。
 「しむらまさとショップ」でお買い上げくださった皆さまへも、ありがとうございます。絵本やポストカード(ほか)が、皆さまの日常にほんの少しでも明るい風を運んでくれたら… と願ってます。またお会いする日を楽しみにしてますねー!

 ということをTwitterFacebookページに書いてお知らせしてから寝る。おやすみなさい!

2016/09/23

考えている人

 アトリエでの授業。今週は、学生たちが行ってきた絵描き旅の報告を聞き、「今週の名著・下窪セレクション」でアンダスン『ワインズバーグ・オハイオ』の紹介と、メインはKさんが選んできた藤原新也「生残り戦士の描いた朽ちはてる前のパン」を「細かく読む」というの。
 藤原さんの今日読んだ文章はちょっと気取りすぎで3.11のあとに行った写真展で感じたような凄みは全く感じられなかった。ぼやけていて、若気の至りのような文章。とはいえたくさんのことを「考えている人」の文章だと思った。全然バカにしてないです。もっといろんな話ができた。
 来週はなんと、島村利正「奈良登大路町」を読む。学生たちが自ら動かないと、ぼくのセレクションになる。10年以上前、20代半ばのぼくが夢中になって読んだものを、急に思い出して。久しぶりに読んでいるが、いつ読んでも鮮やか。「奈良登大路町」は古美術写真や美術写真の出版を行なっていた飛鳥園の小川晴暘さんと、飛鳥園を訪ねてきたアメリカ人ラングストン・ウォーナーさんとの出会いを描いた短篇。つづきはまた来週。

2016/09/22

やり直せず

 また雨。しかも大雨。けっこう強く降った。そういう日に限って面倒な外出支援。いつも決められた電車に乗り(決めているのは当人なのだが)決められた道を歩いて決められた幾つかの店をハシゴしなければならなくなっている人と一緒に出かける。休みの日まで必死で「お勤め」に励まなくても… と思うのはこちらの理屈で彼には通用しない。が、今日の大雨のなか長く歩いたら確実に濡れる。今日は電車移動をメインにしよう!(行く場所は同じだ)と朝、お母さんと一緒に話して決めて、内心「ムリだろうな…」と思いながら向かったら、いちおういつも通りの行動を起こそうとする仕草だけはしたが、きちんと約束通りに移動ができた。何度も何度も「引き返してやり直そう」と口では言っていたが… 自分で自分を必死で強迫するような光景をこちらは呆れて見ている。が、今日は少し面白い「支援」ができた。そういうのを業界用語で「こだわり」と言うが、いわゆる「こだわり」ではないような気が、いまのぼくはしている。

2016/09/21

潜んでいた人種差別

 雨がつづいてる。こんなに雨ばかりなのは、滅多にないような気がする。2週連続でスニーカーを濡らして、懲りた。サンダルと靴の間の子みたいな履物をもっていて、濡れる前提で出かける。

 人種差別(や自分たち以外の民族の差別?)というのは、以前の自分には身近なものではなかった。しかし最近「おつきあい」の場と化している自分のFacebookには(ボタンひとつで誰かの「友達」にされる怖い場所だ)人種差別のことばなんか平然とある。差別と嘲笑はだいたいセットになっている。
 ぼくには「日本民族」としての誇りも自覚もない。考えてみれば、「日本民族」なるものが純粋に存在するものかどうかにも疑問をもつ。が、正直なところそんなもんはどうでもいいと思っている。ただ、自分の身にまとった「文化」は、大切にしたいと思うけれど…(かといって他の文化を蔑むことはない。学んだり交流したりはする。)

2016/09/20

ママの髪の毛

 パーティーで女の子がママの髪の毛をとかして、ママが喜んでいたから、光海は自分もやろうと思ったらしい。見よう見まねで、すぐにやろうとする。いいね。

2016/09/19

ファンクな(?)お誕生日会

 今日はいつもお世話になっているしむらまさと君のお母さんのお誕生日(じつは数日前)を祝う会に家族三人で出かけてきた。なかには久しぶりに会う人もいて、いい日になった。写真は朝、プレゼントの絵を描く息子。彼の描いた絵と妻の描いた似顔絵をコラージュして、妻が「メッセージ、なんて書く?」と息子に訊ねたら「ふぁんきー」と言ったらしく、メッセージは「Funky !」になった。息子はいろんな人にチヤホヤされて、遊んでもらって、大満足だったらしく、帰りの電車で爆睡。電池が切れたように眠った。

ファンクな(?)お誕生日会

 今日はいつもお世話になっているしむらまさと君のお母さんのお誕生日(じつは数日前)を祝う会に家族三人で出かけてきた。なかには久しぶりに会う人もいて、いい日になった。写真は朝、プレゼントの絵を描く息子。彼の描いた模様と妻の描いた似顔絵をコラージュして、妻が「メッセージ、なんて書く?」と息子に訊ねたら「ふぁんきー」と言ったらしく、メッセージは「Funky !」になった。息子はいろんな人にチヤホヤされて、遊んでもらって、大満足だったらしく、帰りの電車で爆睡。電池が切れたように眠った。

2016/09/18

「しむらまさとショップ」のお知らせ

 今週末、9/24(土)、東調布教会(ぶどうの木幼稚園)で行なわれる「Afternoon Concert」で、久しぶりに「しむらまさとショップ」を出すことになりました。絵本『からすのチーズ』をはじめイロイロ出しますが、新しいものが何もないというのも寂しいね… という話になり、ポストカードを3つ、つくりました。1枚100円で販売予定。入場無料(自由献金あり)です。ぜひお立ち寄りくださいね!

2016/09/17

「共感」をめぐって

 昨日の授業の話のつづきで、昨日は「共感」とは何だろう? という話に最後のほうでなった。共に感じる、と書く。あなたの考えに私は共感します。とは言うが、たとえば、その色に私は共感する。とは、言うだろうか。辞書をひくと、人の考えや感情に「そのとおりだ」と感じること、と、まぁ大抵はある。古い(?)辞書には「同感」と同じ意味だとしているものもある。が、「共感」と「共鳴」はどうだろう。「同感」と「共鳴」は? それから「影響を受ける」というのとは…? とか、話は尽きない。英語だと「sympathy」とか「empathy」ということばにゆく。が、そうすると「同情」ということばも出てきそうだけど、「共感」と「同情」… 私はその色に同情する、とは言わないか… 言ってみてもいいが…

2016/09/16

「心おきなく話せる時間」をつくるには…?

 私は観賞者として感動したのではない。創る者として、時代的共感に打たれたのであった。言い換えれば、作品の完成された美に打たれたのではない。創作者の動的な世界に、私の意志が強烈にゆさぶられたのだ。(岡本太郎)

 アトリエの授業、今年は、いまのところ、ほとんど入試の素材を使っていない。昨年度までは入試の素材とそうでないものと半々だったが、今年は学生が増え、いろいろと変えて、試行錯誤のなかやっている。「先生」であるぼくも毎週、どうなるかわからないような授業をやっている。うまくいったと思う週も、いまいちだったと思う週もある。聞いてみると、彼らの希望の多くは「よく話したい、語り合いたい」というものだ。「心おきなく話せる」という時間が、なかなか自分たちでつくれないのだろう。「よく読む」とか「よく聞く」ではないのがミソだ、という気もしている。

2016/09/15

小さなアイデア

 みんなの期待に応えようとみんなの見ているそこ(整数)にエネルギーを注ぐのではなく、整数と整数の間にある無限の数の存在を示唆している。整数ではなく小数。ごく平凡な日常から驚くべき新鮮さを取り出してみせる。(原研哉)

 昨夜急に浮上してきた印刷物のアイデアをかたちにする日。ほんとうはそれを片手間でやり、本来やるはずだった仕事も並行してやっているはずだったが、寝る寝る詐欺(寝るぞ寝るぞと見せかけて寝ないこと)をしながら暴れる息子の相手をしなければならず、思いつきに近い小さなワン・アイデアをかたちにするだけの日になった。けれど、そういう細かいことの積み重ねが大事という思いもある。やろうか少し迷ったのだが、背中を押されるような偶然の流れもあり、まぁまぁ、よくできた。一日で入稿までたどり着けただけでも、よくできたね、ということにして、真夜中にビール一杯だけ。

2016/09/14

『私たちの話し方』上映会のお知らせ

 やればやるほど、自分の知らないことがあるとわかる。(映画『THE WAY WE TALK -私たちの話し方-』より)  

 このところ(このブログで)吃音の話が増えていたのは、じつはこの映画のDVD上映会を企画していたから。吃音(どもり)のある青年マイケル・ターナーが撮った2015年の作品。会場は先月も少し触れた「いすきあ立川」(東京都立川市)。
 この映画、吃音を知ってもらうための映画とか、そういうものではなくて、アメリカのある青年による、吃音をめぐる家族、友人へのインタビュー、そしてパートナーや、同じ吃音者であるさまざまな人たちとの出会いの「旅」を撮った映画。映像のプロが撮った映画ではないという話だけど、ほんとうに? とっても美しい作品に仕上がっています。
 開催は10/16(日)。詳しくは「『私たちの話し方』上映会のお知らせ」をご覧ください。

2016/09/13

予告編

 抽象的な言葉が乗ると、音楽もそれにともなって、ある種のイリュージョンが起こる。(山下達郎)

 朝に滝のような雨が降り、「外出」の仕事に行く前に濡れてしまい、しんどい思いをした火曜。帰宅前にレコード屋に寄って山下達郎の新曲&フランキー・ヴァリのカバーを演ったライブが収録されたNEWシングルを買ってきて聴いた(妻も)。10年くらい前に「かれてきた!」と思った達郎さんの声と音楽が、ライブを再開してつづけるなかで若返ってきたように感じてる(「かれた」感じもそれはそれでよかったのですけどね)。
 この人の「ことば」は相変わらずだ。好きなことばしか使わない。メッセージとか意味とか、そういうのじゃない。響きとか色彩とか、いや、もっと音楽独特のふくよかな感触としてことばを使ってる。それが声になりサウンドに乗ったときに、聴いているぼくをぐいっと持ち上げる。(明日は写真の右にうつってるやつの告知をします。)

2016/09/12

2歳6ヵ月

 今日で2歳6ヵ月になった。最近はずっと「にかいだてのでんしゃ、のる!」と言っていて、「2歳6ヵ月になる日には一緒に行こうね!」と約束していた。東海道線(東京上野ライン)の宇都宮ゆき、グリーン車の2階席に乗り(降りる前の駅では下のほうの席にも移動しながら)上野まで行き、ランチを食べて、不忍池と上野公園を散歩。イベント広場ではボールのプールと滑り台で遊び、ママとトランポリンにも乗せてもらった。動物園や博物館、美術館は月曜でどこも休みだったが、科学館前にある蒸気機関車を見て、大きなクジラの模型も見て、噴水の回りを歩き回り… とってもご機嫌。

 いろんなことがあるけれど、楽しそうに暮らすこと。そうしたらほんとうに楽しくなるからね。

2016/09/11

眠りながら観る映画

 しむらまさと君(まーちゃん)には最近、よく映画に連れて行ってもらう(ぼくは「外出支援」の支援者として)。『ドラえもん』は懐かしかった(昔の映画のリメイク版)。『あんぱんマン』はこども向きだな(彼は自分のことを「ちいさなこども」だと思ってるからよし)。『ミュータント・タートルズ』はミーガン・フォックスの絵に描いたような美しさに尽きる、歩きながら着替えたりしてさ…(そんな映画じゃないか)。で、今日連れて行かれたのは『ジャングル・ブック』の実写版。アニメはどんなのだったっけ? と覚えていない(あるいは観たことがない)のだけれど、『タートルズ』同様に隅から隅までCGの映画で、時代が変わったのだなぁと思い知らされる。というのはその手のアメリカ映画を全く観ないから。ある意味ではすごく面白いし、ある意味ではぜんぜん面白くない(何とでもつくれるということほど面白くないものはない)。で、肝心のまーちゃんは上映中、気持ち良さそうに居眠りを… ちょっと難しかったようですネ。

2016/09/10

どもりとともに

 人が大事にしない分、自分で大事にしないといけないし、また、自分も人を大事にすればいい。プラスもマイナスもあるけれどなんとかなるんじゃないかと思うんです。(村田喜代子「どもり礼賛」)

 アトリエの授業、夏明け最初の授業は「夏のふりかえり」と「これから何がしたい?」を話した。「やりたいこと」以外の話はまた来週。ぼくは久しぶりに吃音の話をした。例の毎日新聞の記事と、もうひとつ何にしようか迷って、村田喜代子「どもり礼讚」をみんなで読んで話す時間をもった。例の記事というのは、8/17の毎日新聞朝刊1面トップに出た「吃音「差別受けた」6割」という記事。吃音の暗黒面(?)を大きくとり上げたあと、九州大学の先生の「社会が吃音を障害であると認識することが重要だ」というコメントで〆ている。が、吃音をよく知らない人がこの記事を見ても(たぶん)(やはり)ほとんど理解できない。それよりも、「障害」って何だろう? 「差別」って何だろう?

2016/09/08

猛スピードで

 台風が熱帯低気圧に変わり、通り過ぎていった日。とはいえ、台風と熱帯低気圧の関係がどういうものか、考えてみると、よくわかっていない。台風の勢力が弱まったら熱帯低気圧になる? のではない? 熱帯低気圧が強まって暴風域をつくっても台風ではない?(そもそもそんなことはない? そうだっけ?)──気象予報を見ていても、どういうこと? という気がする。じつは誰もハッキリとはわかっていなかったりして。

 空を見上げると、明るい雲のずっと下のほうを、薄いけれど黒い雲が猛スピードで走っていて、霧雨のような雫をバラまいて行った。

2016/09/07

吃音と難癖

 私たちの学びへの意欲がもっとも亢進するのは、これから学ぶことへの意味や価値がよくわからないけれども、それにもかかわらず何かに強く惹きつけられる状況においてです。(内田樹「最終講義」)

 ことばに詰まってしまうことがある。ぼくがどもりだから、だけではないような気がしている。詰まる癖がついているというか。躓くと、いったん止まってしまう。いちいち止まることが悪いことだ、としか思えなければ、とても窮屈だったろう。しかし妙なことかもしれないが、周囲がいくら「悪いことだ」という雰囲気になっても、自分では「そうかぁ?」と思う癖も一緒についていた。詰まる癖はともかく難癖をつける(?)癖はどこでついたんだろう。とはいえ、難癖に反論されても、だってわからんじゃないかとしか言えない。つまり口もたたないし頭もきれない。鈍いのか鋭いのかわからん。それくらい鈍いんだ。鈍さも鋭さに変わるかな。鈍いままでいいんだけど。

2016/09/06

グルメ・レポート

 暑い。とにかく蒸し暑い。今日なんか8月より暑かったんじゃないか。そんな日に朝から夜まで外出支援ふたつ。何だか眠くてお腹がすいてからだがだるい。あ、夏バテか。残暑バテ?

 写真は「支援」の合間の休憩で入った大田区役所1階のカフェCosmoにて。「コスモフレッシュ」、ヨーグルト&ミルクを氷のうえに注いで、レモンを添えてあるのが爽やか。今日に限ってどうしてこれを注文したかというと、カフェCosmoを運営しているさわやかワークセンターの広報紙『さわやか通信』に「グルメ・レポート」を書くため。隔月刊でカフェCosmoをはじめ、大田区内の福祉関係各所にあります。見かけた方はぜひお手にとってご覧くださいね。毎回、表紙が楽しみ。もちろん中身もだけど。

2016/09/05

畑の、詰め合わせ

 仕事で(というより公私共々)お世話になっているAさんが、実家・新潟から野菜をどっさり送ってきてくれた。彼女のお母さんの畑でとれた野菜とのこと。先日は素晴らしく大きなニンニクをいただいたりもしたっけ。いい感じの土の匂いがする。それだけで嬉しくなるのは、ぼくが幼いころ、祖父母の家の畑を知っていたからかもしれない(農家ではなかったが畑はもっていたものだ、Aさんの家は今でもそうなのだ)。届いたときにはぼくは留守にしていたのだけど、箱を開けてみたときの光海の反応は「ことのは山房のブログ」に書いてある(面白いよ、ぜひ読んでみて)。そして、少しずついただいている。おいしい。おいしい。おいしいとはこういうことだ。

2016/09/04

アロマ

 議論で「勝つ」というのはくだらないことである。そして「勝つ」ために知識を蓄え、議論を組み立てていくのもくだらないことである。学問というのは真理の探求であると俺は堅く信じている。(國分功一郎)

 朝のノート(モーニング・ページ)、相変わらず毎日やっているが、昼すぎとか夕方になる日がたまにある。数日前のページには、忘れていた大切なことを思い出させてもらった。
 写真は先日、展覧会のハシゴをした日の夕方に寄った八重洲地下街の喫茶店「アロマ」にて。20代のぼくが通った喫茶店は、大阪・あべの橋筋の「田園」(数年前から「改装」のため閉店中らしい、再開しそうにない)と、もうひとつが実は「アロマ」だった。足を運ぶ頻度はさすがに、住んでいる街にあった「田園」のほうが遥かに多かったけれど。「アロマ」は、深夜バスで大阪駅から東京駅まで来て、朝の時間をつぶしながら書き物をする場所だった。変わらない、ということの幸福。

2016/09/03

家庭

 お店で売られている出来合いの商品とは桁はずれの質をもった家庭料理が見直されなければならない時代になったのだと思う。(大貫妙子)

 家庭という字をよく見ると、「庭」という字が入ってる。家の庭、いや、家と庭、か。語源事典で「庭」を調べると例によっていろんな説があるようだけれど、もとは「平らなところ」を指していたということが書かれていた(ついでに、「場」は「庭」からの派生らしい)。たしかに家庭は、山谷であるより平らな場所であってほしいなぁ。そうなるためにはそこに人がいなければならない。家も人の気配を感じて共に生きているような気がしてる。

2016/09/02

シャレのきいた広島土産

 妻の友人が送ってくれた広島土産。シャレがきいてる。「女子カツ」は彼女が独占しようとしている(息子が羨ましそうにする)。「プロ野球ラーメン」は謎。インスタントラーメンの粉スープのなかにすりゴマがたくさん入っていて香りがいい。モヤシとネギと、ハムをのせて食べた。ご馳走さまでした! ついでに書いておくと、お土産のせいで「カープ応援チャンネル」を毎日のように見てる。今年の広島、強い。年々、良くなってきている感じはしていたけれど、この1週間の勝ち方は神がかり的? ダイジェストを見ていると、勝ち越されるのも逆転へのお膳立てのように感じられる(ダイジェストでしか見てないからだろうけど)。優勝まで秒読み。前にカープが優勝したのはぼくが小学生のころだっけ?

2016/09/01

走り出す

 9月になった。これから年末にかけてが、ぼくの最も好きな季節。何だか、ホッとする。

 昨日は新宿から東京駅へびゅーんと移動して、東京ステーションギャラリーで「12 Rooms 12 Artists」を観て、そのあと松屋銀座で「星野道夫展」を観るという展覧会のハシゴをした。「12 Rooms 12 Artists」はアトリエの(ぼくの授業をとっている)学生からススメられていた。「星野道夫」は妻のススメだ。どの企画展からも、何かひらめくものがあり、動き出すものを感じた。いまの自分の状態が良いせいもあるかも(いや、悪くないというくらいにしておこう)。
 東京ステーションギャラリーでは、売店でブリキのちいさな新幹線が目に入り、思わず買ってしまった。息子の喜ぶ顔が目に浮かんだから。案の定、彼はすっかり気に入って離そうとしない。襖の溝を線路のようにして走る。いい走りを見せる。いい音をたてて走る。