2016/03/31

砂場とお花見の会

 妻子が毎週、通っている親子教室がある幼稚園で「お花見会」があるというので、ぼくも一緒に参加してきた。
 光海には桜はまだよくわからない。というのも、手が届かないから。かな? 彼はそれより砂場遊びのほうに夢中で。たのしそう。
 ぼくが以前、ここに来たのは、まだ通いはじめる前だったので、それから半年以上が過ぎていた。そうしたら、息子の様子が「慣れた場所」になっていて、とってもまぶしかったよ。

2016/03/27

「貧困世代」のさ中で

 藤田孝典『貧困世代〜社会の監獄に閉じ込められた若者たち』を読み進めてる。いかに「最低限の暮らしの保障」がされていないか。「安心して失業し続けられる社会には、劣悪な労働環境がここまで拡散することなはい」──ずっと感じていたことをことばにしてくれている。

2016/03/25

「あえて離れる」時間の大切さ

 吉祥寺のアトリエへ久しぶりに顔を出してきた。あたらしい1年が、また、はじまる。ぼくはセンター試験・国語を無事にクリアするための授業もちゃんとやって結果を出している(つもりな)のだが、芸大・美大を目指す学生たちが相手で、評価されているのはそこじゃない。そのへんが相変わらずおもしろい。絵を観たり絵(のコピー)を手もとに置いたりするのが好きなぼくは、あえて「ことば」だけで場をつくろうと、思いはじめて早4年。これからの1年は、これまでにもまして、「ことばのワークショップ」的な要素がつよい時間になりそう。それはそれで、たのしみだ。(とはいえ、「しっかりやっていれば失敗しない」と思われる学科試験をバカにするとろくなことがないよ〜。と、また今年も言おうと思っております。)

2016/03/24

「鳥たちと」から1年

 絵本『からすのチーズ』の誕生を記念して開催した江古田Vieillでの「鳥たちと」(しむらまさと個展)から1年がたった。3.21がトーク・イベントで、3.22がコンサートだった。「鳥たちと」は、Vieillの大山さんからお誘いがあって、「ぜひイベントを何か」という話だったので、ぼくが作者および作者の母と話しながら企画の詳細を詰めて、限られた時間と予算のなか、実現させたものだった。余裕がないにもかかわらず、場をつくるならワン・アイデア(ワン・テーマ)で押し切るのはよくないと考えるぼくは、可能な限りのアイデアを詰め込んだ。結果、とてもよかった。一方で、手がかかるので、こういうのはたまにしか出来ない、と思い知ることにもなった。本当に自分がやりたいと思うときにやるだけでいいかな、という気がする。ま、誰からも頼まれないしネ。頼まれたら、それが「そのとき」なのかな。大山さんは稀有な方だ。

2016/03/23

色の束

 昨年の秋から、光海はママ(妻)に連れられて、ある幼稚園の親子クラスに参加している。今日が年度おわり最終日で(来年度も参加しますが)お別れになるお友達もいたとか。ママは光海がお友達に渡すお手紙とか、ささやかな手づくりプレゼントを準備していた。
 さて、今年度さいごのクラスで光海はこんな絵を描いてきた。力強い色の線が束になったそこに、ほんの少し「円」がまざりはじめたのに親であるこちらはびっくりしてる。

2016/03/22

こどもの歌

 結婚とか出産、子育てにかんしていろいろなことが言われているのを聞いたり見たりする。すると、ある一定数の人が(結婚、出産にもれなくついてくるはずの)生活の「変化」を望んでいないようなことを言っている。ふ〜んと思いながら。自分はどうか。結婚して、こどもが生まれて、独身のころみたいに気軽に飲みに行ったり、遊びに行ったりが、どんどんできなくなっても、ぼくはぜんぜん残念じゃなかった。ひとり暮らし歴14年だったから。とっくにあきてたし。2歳になった息子と過ごしていると、ようやく心から「遊ぶ」ことができてると思う。
 さて、今日の「支援」は朝から二本立て、そして後のほうが延びた(いろいろあります)。
 ようやく帰宅して、まだ起きていた息子を抱っこして少しだけ外へ出て、あかるくておおきな「おちゅきちゃま」と会って(ついでに上空をゆく飛行機も見送って)おやすみを言いました。おやすみ。

2016/03/21

おいたきじーじ、きくか?

 毎年3.21は大瀧(詠一)さんの手がけた何かしらのリリースがある日で、ナイアガラの日ということになっている(実際には少し前に店頭に並ぶ、でも3.21発売ということになっている、つまり「ゲン担ぎ」だ)。今年は『DEBUT AGAIN』を聴いているが、聴いていなかったら、光海が「おいたきじーじ、きくか?」と言う。「追炊詠一」か。「追炊」っていいね。まさに。らしい感じがするネ。「別名」を山ほど持っていた大瀧さんも、「追炊」は思いつかなかった?
 30代の大瀧さんがスーツを着て野球のボールを握ってる写真が宣伝にもCDのブックレットにもバンバン使われてる。妻はそれを見て爆笑していた。笑うとこだよネ。野球選手みたい? だろぉ? 野球選手顔ってあるの。草野球選手か。知らない人が見たら、どんな人? ってなる。いちいち面白い。
 春ですね。

2016/03/20

走り出す!

 「障害福祉」にかかわる人たちから「配慮」ということばをよく聞く。「配慮」とは何だろうか。と思うが、実体は「法律(界隈の)用語」だったりして。あってる? なんて思っていたら、国会でも(たとえば今日のニュースでは税制にかんして)「配慮」ということばが頻繁に交わされている。そこらで言われている「配慮」とは何だろうか。本気でわからん。「配慮」ではなく「権利」ではないか。「権利」でなく「配慮」であるのはなぜか。とにかくあやふやな感触。むやみやたらとあやふやにするのがみんな(みんなじゃないが)好きなのか。

 写真は、そんな話が通用しない人の、走り出す!(落ち葉遊びにハマってます。)

2016/03/19

身軽な木

 もうちょっと身軽に本をつくれるようにしてゆこう。本と言うからいけない。冊子。パンフレット。インクのしみがついた紙の束。紙のおおもとは何? 木だ。

2016/03/18

わき水

 いつもの散歩コース。根岸の森林公園。ここも散歩道なのだけど、急に水がわきだしてきた? 道がせせらぎになってる。芝生のなかにも、なぜか、ぬかるんでいる場所があったりして。息子は大喜び。靴は泥だらけ。今日は昨日とちがい風がつよい。馬たちも鳥たちも元気でした。

2016/03/17

デビュー・アゲン

 迷った時には墓参りだよ。(大瀧詠一)

 大瀧さんの生前、この時期には毎年、ナイアガラのカタログが何か発売されることになっていた。それが本人亡きあともつづいてる。今年はこれ。『デビュー・アゲン』というの。タイトルはナイアガラ風のシャレ。知らない人にはわからないでしょうけど、まぁいいや。内容は大瀧さんが1980年代〜90年代(「歌手」としての活動を封印したあとで)いろんなシンガーに向けて書き下ろして、サウンド・プロデュースをしていた楽曲の「本人歌唱バージョン」を集めたもの。デモ・ヴォーカルではない、と言われているが、実際には「謎」としたほうがよさそう。初回盤のヴォーナス・ディスクには、1997年の「リハビリ・セッション」の音源が。うち2曲にかんしては1998年の(恒例だった山下達郎さんとの)「新春放談」でオンエアされたことがあり、当時、エアチェックしてよく聴いていた。これからじっくり聴きます。

2016/03/16

「道草家」の発端

 塩見直紀さんの話のつづき。そのころ読ませてもらっていた塩見さんのメールマガジンに教わったことは少なくない。たとえば、「道草家」というのも、発端はそこにあった。ある日、送られてきたメールマガジンを開くと、「オリジナルの肩書きを考えてみよう」と書かれていた。ウェブ上のワークショップかな。とりあえずぼくも思いつくまま、出まかせで、いろんな肩書きを書き出してみた。苦笑研究家。雑談屋。鼻唄歌手。とか。ネタに詰まったら「会」の名前を考えてみる。「ウィスパーヴォイス愛好会」副会長。「粋に泡盛を飲む会」会員。とか。冗談で。ぼくは会社勤めをしていたときから、なぜか仕事外の人づきあい(ということは出会いも)の多い人だった。そんなとき、会社の肩書きで自己紹介をするのが、ちょっと面白くないなぁと感じることが多くて。冗談でもいいから何か考えようと思ったのだった。そのひとつが「道草家」だった。まさか、それが自分の人生を大きく変えるようなことになろうとは、そのときは思いもしなかった。

2016/03/15

半々の仕事

 あらためて書くと、4年前から、大田区で「外出支援」という仕事をして、つづけている。
 2006年の秋に、仕事でたまたま訪れた綾部(京都府)で、塩見直紀さんとお会いした。ぼくはそのとき不勉強で塩見さんのことを全く知らなかった。大阪にあった会社に戻ってから、お礼のメールをすると、メールマガジンを読みませんか? というお誘いがきた。それで、その仕事が終わった後も、個人的に読んでいた。塩見さんは、「半農半X」というライフスタイルの提唱をしていた。他人に薦めるというよりも、自分の生き方として実践して、オープンにしていた。屋久島の作家・星川淳さんの「半農半著」からきた考え方だという。ぼくは農業を実践はしなかったが、執筆(やそれにまつわるイロイロサマザマなこと)を生活の全部にするのではなく、それは半分にして、残り半分で「生業」をやろうということを思った。それが、都会のなかで、福祉の仕事に従事するというふうに至ったのかもしれない。自然にたいする仕事か、社会にたいする仕事か、のちがいはあるけれど…

2016/03/14

剥がす日、残す日

 一夜明けて、朝から晩まで雨、雨、雨。で、光海は相変わらず。ぼくは、昨年3月、印刷所から届いて確認のために貼って、そのままにしてあった『からすのチーズ』のポスターをはがして(階段の上の壁に貼り直し)、昨日のパーティーの飾りを残した。先日読んでいた原稿にポスターを剥がすシーンがあり、近々やろうと思っていた。
 息子の成長と共に、親であるぼくにも少しずつ変化があるだろう。ないとウソになるね。「本づくり」の仕事は相変わらずノンビリ、ダラダラ、だけれど、これがぼくのペースなんだ。これは、いま一般的に言うところの「仕事が出来ない」範疇だろうと思う。ものづくりの仕事なんかに手を染めず、最初から対人の仕事に向かっていたら、もう少し真っすぐな人生だったのではないかと(いまなら)思わないでもない。でも、そうだったら、いまのこの暮らしはない。社会的には不適合者で、問題のある人かもしれないが、ぼくをよく知らない人はそう見ないだろうし、すごくよく知っている人もそうは思ってないだろうという気がする。

2016/03/13

バースデイ・ケーキ

 今朝は、起きてきてすぐに(昨日買ってきた模型の)新幹線をとりに行き、「ほっかいどーちんかんせん、さんにんでのるかぁ?」と言っていた。そうかぁ。こんどは乗らないとね。北海道かぁ。ぼくは東北にもまだ行ったことがないんだ。いつか行こうねぇ。
 夜は、妻の家族が勢揃いしてパーティーを開いてくれた。ぼくは朝から仕事に出ていたので、参加しただけ。ご馳走をいただいて、光海は人生初のホール・ケーキを味わった(みんなで分けたけどね)。ハッピー・バースデイをみんなで歌って、光海は自分ひとりで2本の蠟燭を消したんだ。それから、東京と鹿児島のじーじ、ばーばからもらったプレゼントも、おばちゃんからもらったプレゼントもすごかったねぇ。
 昨日、今日と、素晴らしいお祝いの日だった。明日は休もうね、雨みたいだし、とママ。おつかれさま。

2016/03/12

2歳

 待ちに待った誕生日。というのも、何週間も前から、毎朝、「ちんかんせん、みにいくかぁ? さんにんで、おべんともってぇ」と聞かれていたのだった。そのたびに「誕生日になったらね」と言い聞かせて、親としては、もっともっと後のことかと思っていたが、やはりこの場合も、その日は来てしまう。朝からいそいそと準備をして(ママが)、昼前に出かける。予定は仮にいくつか立てて(はっきりは決めずに)東京駅まで行き、新幹線のホームに入場券で入り、まずは新幹線を眺める。ぶらぶらしていたら、ガラス張りの待合所があり、似たような親子がいるではないか、あそこ、いいね、という話になり、そこで持ってきているお弁当を開ける。シャケとおかかのおにぎりと卵焼き、それに、光海の大好きなシュウマイ。ホームの売店では、新幹線の模型(Nゲージというの?)とシール・ブックが見つかり「買って、買って」と(ことばではまだ言わないが)ねだり買ってもらう。こんなに嬉しそうな彼は久しぶり。ご機嫌で。なぜか「ほっかいどーちんかんせーん」だそうですけど(たしかに似てる)。よかったねぇ。

2016/03/11

裂け目

 あの震災から5年がたった。あの震災は、個人的にも重くのしかかってきた。震災の影響下で亡くなったと思っている友人や親戚もいる。あの年は、ずっと、どっぷりと「死」の漂うなかで暮らした。いまでも、ずっと、その気配のなかにいる。2011年3月11日は、というより、3.11の前後の期間が、いろんな意味で、個人的にも、社会的にも、おおきな裂け目になった。

 一方、あのころ、東北の「復興」も「東京スタイル」の押しつけにすぎないではないか、と感じて、どこかで喋ったりもした。その意味では、5年前から、この国はまだ、ほとんど何も変わっていないようだ。「東京」が壊滅しなければ、何も変わらないのかもしれないね。それは、いつ、どのようなかたちで訪れるのだろう。

2016/03/10

たくさんのちいさな舟

 生きものは、自分の身が置かれた状況の中で、最善を探りながら生きていく。そう言えば聞こえがいい。要するに、当事者になって初めて建前に隠蔽されていた本性が現れる。俗な言葉で言えばぼろが出る。(梨木香歩『ピスタチオ』)

 「保育」にかんする「意見」は、どれを見てもどれを聞いても、ザワザワ、モジョモジョ、するなぁ。じつは論点もハッキリしていないのかもしれない。先日は「労働」問題とのすりかえではないかと思ったんだけど、もちろんそれだけではないしねぇ。とても根が深い。考えれば考えるほど、違う答えがボロボロ出てきて、収集がつかないので、考えるの止めます。子育ての問題、うちにとっては現在進行形なので。(目下巻き込まれ中!)
 いまは、おおきな「社会」がどうあるかよりも、まわりを見ると、イロイロサマザマなちいさな舟が、たくさん浮かんで、互いに合図を送っている。そのちいさな明かりのほうを信じよう。

2016/03/09

小石と種

 家の前の桃の花が散りはじめた。光海は桃の種をひろうのが好きで、ここを通るときにはかならず探している。彼のポケットには小石と種でいっぱいだ。

2016/03/08

メディスンホイール

 人は愛を求めすぎると力を失い、力を求めすぎると愛を失う。どちらが大事かではなく、どちらも大事なのだ。ほんとうに大切なことは、バランスをとることだ。どちらか一方に傾きすぎたら、中心点を探そうとすることだ。(松木正)

 久しぶりに松木正さんの本を読み返してる。松木さんはインディアン「ラコタ族の儀式・伝統の継承を許された唯一の日本人」で、引用したこの部分のあとに、「メディスンホイール」の話が出てくる。シンプルな輪に十字、そこに方角(時間、季節、人生の…)、色などが重なって、そこには深い意味が隠されているという。「中心点」ということばも、メディスンホイールの話につながる。迷ったり、悩んだり、耐えたり、内省したりするとき、勇気を出すとき、ぼくはこの話を思い出す。──すべてのものはつながっている。

2016/03/07

「あー わかんない わかんない」

 今朝、早朝の横浜は滅多にないような土砂降りの雨、よく言われる「バケツをひっくり返したような」雨、まさに。まだ真っ暗な家のなかで、妻は「家が流されそう」、光海は「あー わかんない わかんない」(動物園が洪水になる絵本『かばくんのふね』の一節を真似してる)ぼくはそれでも、少し二階の様子を見に行った以外は、疲れてすーすー眠っていたそうな。
 春らしい天気と気温と、そしてこの空気感。20代のころまではあまり好きではない季節だったが、最近は、そうでもなくなった。季節が巡ってくるまで不思議と忘れてしまっているが、こんな感じも、また、いいなぁ。妙に眠たくなるのがちょっと困りものだけど…
 今朝の雨はよっぽど印象的だったのか、夜になって雨が止んでからも、彼は相変わらず「雨、見るか?」なんて言ってた。

2016/03/06

アフリカという名前について

 季節は着々と移り変わってる。スーパーではふきのとうが並べて売られているのを見かけるが、道草の家の周囲のふきたちは、みんなもうこんな様子。
 ぼくはようやく『アフリカ』にとりかかれそう。保留になっている仕事(曰く「プライベート出版」にかんする仕事)がいろいろありますけど、それも徐々にやります。今年の夏で『アフリカ』は10周年、ということは(アフリカという)名前に悩まされはじめてからも10周年! 映画『ロシュフォールの恋人たち』では、ダムという苗字の男性が、その苗字が理由で(マダム・ダムが嫌だからと)最愛の人と別れてしまったと悔やんでいたなぁ。創刊時から「どうしてアフリカ?」と疑問の声はひっきりなしにあり、なかには嫌悪感を示す人もいた。そこで嫌悪感を示すような人を遠ざけるための名前でもあったのかなという気がしている。そして、アフリカという名前は相変わらずしっくりこないけれど(じつはネ)、でもアフリカだったから生き延びられたという気もする。よくわからない部分もあったほうが場は強くなるということ。

2016/03/05

片隅の想い〜「待機児童」問題を遠目に

 「保育園落ちた日本死ね」というブログが話題となって国会でとり上げられて、それにたいし時の総理大臣は「匿名であるなら事実ではないかもしれない」という旨の発言をし自民党議員の野次も重なってさらに話題になっている。国会での発言を見ると、まさかこの人たちが国政を担っているとはとても思えない、目先のことに追われている市井の人(とまぁそういう言い方をしておこう)にしか見えなくてガッカリもしないが、保育園の選抜に落ちて絶望している親もどうかな。結局は、こども(たち)よりも、お金や、これまでと同じようにお金を使い贅沢をして旅行をしたり買い物をしたりといった生活のほうが大事で(すでに自分が手に入れているライフ・スタイルに固執して)、会社に所属してないと自分の仕事も出来ない(それは自分もある程度そうなのだけど)、それだけの大人が社会に充満しているということではないか。我々は「お国」に税金を払うために存在していると本気で思う? ひとりひとりの人間に与えられた時間など限られている。みんな少しくらい覚悟を決めよう。で、どうすればいいだろう?

2016/03/04

散歩のススメ

 最近、光海の定番散歩コースができた。道草の家(我が家)は車道から離れた狭い路地の奥にあり、それでも一部に僅かな車の出入りはあるが、わりと安全で、坂や階段があり、いろんな草木があり、春になっていろんな花も咲きはじめた、たまにてんとう虫(彼はなぜか「せんぷうき」と呼ぶ)にも出会える、彼のすきな石ころがたくさん拾えて(父と母は呆れ顔だけどネ)、おりていくとたまに車が走ってゆくのも見られる。ぼくも時間があるときにはその彼の散歩につきあってるのだけど、たのしい。ちいさな発見がいろいろある。で、写真をパシャパシャ撮ってしまうのだけど、写真なんか撮ってないで遊ぼうよ、という気もする。幼い我が子との暮らしには、そんな歓びもある。

2016/03/03

不思議な共鳴

 ひなまつり。これは妻子が地域の集まりに行ってつくってきたひな人形。背景は、今日の昼間、ふたりで何やら切り貼りして出来た。いいね。ぼくは午後から「外出支援」の仕事に出た。すると今日は、支援者を困らせる類いの問題ではないのだが、どうやら本人は調子がよくなさそうだ。家族と連絡をとりながら、でも、せっかく楽しみにしている「外出」だから、とノンビリ過ごす(ノンビリしすぎたか)。ふと、ことばで伝えられない、ましてや、自分でもサッパリわからない、これ以上の「障害」はない、と思った。とすると、自分には「吃音」のことが思い出されるわけだ。ほんとうに困っている人は自分の困っていることを説明など出来ない。ほんとうに苦しいとき、それはいつも「意味不明」なんだ。というようなことをつらつら思った。急に不思議な共鳴があった。それで少しだけ、よかった、と思う。

2016/03/02

小さな畑をあちこちに

 意味というものは生涯をかけて生成する。しかし、感覚は意味よりも先に存在し、意味に意味を与えていくだろう。(アラジン・マシュー)

 『水牛のように』3月号を眺めていて、西大立目祥子さんの「仙台ネイティブのつぶやき(11)5年目の畑で」を読んだところだ。あの震災から、来週で5年がたつ。西大立目さんが伝えてくれた仙台の農家の人たちのことばは、ビーン、ビーンと響く。「農業を産業としてだけとらえると、人が土に向かって働きかけて生きてきた初源の感情や多面的な価値はたぶん失われていくだろう。小さな畑をあちこちに、生み出すことはできないのだろうか。」──小さな畑をあちこちに、生み出すことはできないのだろうか。そのためには、生きている畑を殺さないで生かさなければならない。もう生まれてくるものを殺さないで。いま日本人は(「食っていくため」などと言いながら)いろんなものを殺しすぎているのかもしれないよ。

2016/03/01

解決法

 解決法なんていつでもあるんでしょう。以前はよかったなんてことに私は興味がない。(リナ・ボ・バルディ)

 2月もなんとか乗り切った。ごくろうさま。というので、息抜きに昨夜は焼き肉を家でやり、お正月に飲んで気に入った鳳凰美田という酒蔵のつくっている梅酒を買ってきて(お正月にはその時期限定の「原酒」だったが今度は普段売ってるやつ)夫婦で飲んだ。で、元気になったかと思いきや今日のぼくはなんだか妙に心がしおれてる。だいたい今頃の季節がぼくは得意じゃない。調子がわるくなる季節? こういう日に「支援」の仕事はきついが、あるんだな。しかもそういう日に限ってスンナリいかない。そこでようやく自分をどう助けるかということを考えはじめる。普段から考えていればよいのだが…