2015/09/30

外出支援の3年

 霧のなかを歩くと、必ず濡れる。(誰か)

 外出支援の仕事をはじめて、今月(9月前半だったかな)で丸3年がたっていました。あっという間のような、長いような、濃厚な3年でした。いろんなことを教わった。いつまでやれるか、という思いもありますが、ずっと大事にしたい縁です。これからもよろしくお願いします。
 で、3年前の「道草のススメ」を見返したら、いろいろ書いてある。風雷社中のスタッフにかんしては「かなり気持ちの良い人たちで、自分たちの弱点も、仕事の苦しいところ、汚いところも、ある程度は包まず話してくれる。」で、仕事にかんしては、「これがレギュラー化してくれば、とても大きい。障害者福祉にかかわることは、これまでの自分の人生を振り返っても割と自然な気がするし、おそらく友人たちに話してもそう言うだろうという気がする。」だって。フレッシュ!

2015/09/29

愚痴

 だから一般的なモチーフを避けて、あなた御自身の日常があなたに提供するモチーフへとのがれてください。あなたの悲しみや願いや、過ぎ行く思いや、何か一つの美に対する信仰などをえがいてください──それらすべてを、熱烈な、しずかな、謙虚な誠実さをもってえがいてください。(リルケ)

 「鳥たちのその後」展から2ヵ月、アフリカキカクの仕事ができずに困っている。日常的に抱えている仕事はひとつ、ふたつではない。加えて相変わらず生活も苦しい(お金はなくとも「貧しく」はならないように様々な工夫をしている)。その仕事の合間にとりかかるのには、自分自身にものすごく負担がかかる。と、自分自身に言い訳するのは止めてはじめよう。

2015/09/28

あめ

 私の写真はたいがい思いやりがあって優しく、個人的なものである。見る人に自分を見つめさせるというふうなのである。お説教はあまりしない。芸術ぶることもあまりない。(ブルース・ディビッドスン)

 震災のあった年の後半は、虎ノ門に通っていた。そこで知り合った友人のひとりと久しぶりに会おうという話になって、昨日は昼間から野毛で飲んだ。で、予定通りいま抱えていることを全て棚にのせてグダグダ飲み、何もしないという、そんな休日は久しぶりだった(光海の子守りが来てくれたので可能になった)。で、日頃ないくらいのヨッパライだったので、昨日はこのブログもお休みにした。
 今日は二日酔いのまま家でイロイロと。夕方には家族三人で森林公園に散歩に行き、光海もたくさん歩いて、池では鴨と亀と鯉と話をして、いいきぶん、だそうです。

2015/09/26

人生

 これが人生だ、とわたしは思わずにはいられなかった。(リチャード・ブローティガン)

 金曜の夕方の授業から、そのまま泊まりがけで某絵本作家と彼の家族の「支援」に行き(同時に私も彼らから「支援」されているつもりがあるのですが)、帰宅すると、やっぱり我が家はいいなぁ。

 ハース・マルティネスが癌闘病中で、深刻な時期もあったが、奇跡的に回復してきた、少し喋ることもできるようになってきた、という報告を長門芳郎さんがしているのを見た(ぼくも回復を祈ります)。50〜60代の人たちが、病との付き合いをはじめたり、亡くなったりする話をたくさん聞くようになり、ぼくもいまや30代半ばを過ぎて、人生というものが、思っていた以上に短いものなんだ、と感じられはじめた。ここにきて、ようやくブローティガンの書いていた詩や散文にある哀愁のようなものも感じられはじめる。

2015/09/25

「安保の現場とは、すなわち沖縄である。」

 「基地は沖縄にも本土にもどこにもいらない」という反戦平和主義者は、崇高な目標が達成されない限り基地の多くが沖縄に置かれ続ける状況に、結果として加担することになってしまうのだ。この事実に気が付いた瞬間「共に闘おう」という呼びかけが軽率であることに気付くはずだ。

 先日のBギャラリーで見た展示が良かったので、今日、アトリエへ行く際に途中下車して、再びニコンサロンで開催されている初沢亜利写真展「沖縄のことを教えてください」を覗いてきた。(どちらも新宿にあるギャラリー)
 ぜひ、この記事(「安保の現場とは、すなわち沖縄である。それは我々本土人が最も向き合いたくない事実である」)を読んでみてください。「沖縄のことを教えてください」は、赤々舎が写真集にしているからそれでも見られます。けっして政治的な写真じゃない。日常を撮った写真ばかりなのだけれど、だから、細い路地の奥にある広場のようなものを少し見せてくれる。
 写真は、雨の新宿。

2015/09/24

日曜が待ち遠しくない

 今朝、電車に乗ったら、気づいた。いつもと違う、おもた〜い感じに。そうか。今日は「シルバー・ウィーク」の連休明けなんだ。
 以前、親しくしている年上の友人が「連休に旅行する計画を立てて、そのために仕事をしていた時期があった。それが終わって現実に戻ると、その度にグッタリしていた」という話をはじめた。そういえば、ぼくも会社勤めをしていたころは、毎週、休みが待ち遠しかったっけ。その感覚、もうすっかり忘れてしまった。いまは休みを待ち遠しいと思うことがない。ずっと休んでいたいという思うこともない。暮らしというのは、たぶん、本来、そんなものじゃない。ずっと陸続きだ。旅に出る、旅から戻る、という日常から離れる、戻る、という感覚はもちろんあるけれどね。日常にとどまっている限り、どちらからも遠くは離れない。電源を入れたときだけプレイできる、といったゲームのような感覚で仕事している人が多いとしたら、困ったものだ。

2015/09/22

アルカ・デ・ノエ

 数日前に珈琲焙煎舎に寄って、店主に「お久しぶりです」と言ったら、「道草サン、毎月来てません?」と言われて、はて? と考えてみたら、前に来てから1ヶ月はたってない。でもなんさか久しぶりな気がしたのですヨ。
 ついでに、店主によると「道草サンは春以降は毎月来ているか毎月注文がある」らしい。なぜわかるかと言うと、毎月限定の珈琲豆を毎月、欠かさず100gは買っているからで、今月(10月)はニカラグアの「アルカ・デ・ノエ」中深煎り。抽出から時間をかけて飲むと、温度が下がってくるほど甘みが出る、と店主。持ち帰って豆を挽き、ドリップして飲んでみたら、いつも以上にやさしい、おだやかな珈琲で、ふんわりとした甘みが特徴。早めに売り切れるかもしれませんが、オススメです。

2015/09/21

内田百閒を読む佐野洋子

 神奈川近代文学館は距離的には近いのだけれど、交通を考えると少し行きづらい。それに月曜が休館日なので、ぼくがゆっくりしている確率が高い日には閉まっているので、なかなか行けない。が、なぜか今日は開いているというので(連休中だからですね… ぼくは連休関係ない生活なので、つい忘れちゃう)、ずっと行きたかった「まるごと佐野洋子展」に家族三人で行ってきた。
 絵本の原画と、スケッチ、草稿、原稿、写真、などがイロイロと展示されてる。
 ウロウロ見ていたら、佐野さんは内田百閒が好きらしい。へぇ〜。そうだったっけ? と思って帰ってきて、持っていた文庫本を開いてみたら、やっぱり好きらしく内田百閒愛を綴ったエッセ意まである。それで、ぼくも久しぶりに(なぜか佐野さんの本ではなく百閒先生の)「サラサーテの盤」とか「東京日記」とかを読んでみたくなった。

2015/09/20

ちいさな理解者

 この映画はタチのなかでも最も優しい作品です。(ジェローム・デシャン )

 先週、光海が風邪をひいたときに、映画『ぼくの伯父さん』のDVDを借りてきて見せたら、大喜びで見ていた(注:彼のパパはジャック・タチの大ファンなのです)。以前、買ってきて見せていた動物園のDVD(幼児用)なんかもうたいして面白くないみたいで、『ぼくの伯父さん』のほうが良いらしい。「ほしいねぇ」と(彼の母が)くり返し言うので、よし、この機会に、今年の頭に出たばかりの最新リマスター盤を買ってきて見てみよう。と思って探したけど、もうあんまりないんですね。売り切れる前に買えて良かった。光海のお気に入りは、冒頭のシーンで、犬がゴミ箱を倒してガランガランと音をたてるところ(キャッキャ)。音楽もお気に入りで腰ふりダンスをしながら見てます。ジャック・タチの映画をほんとうに理解できるのは、じつは大人より彼のようなこどもだったりして。

2015/09/19

2015/09/18

関係づくり

 像を写すというより実在感。関係をつくり描く。(秋山豊之)

 19日まで、吉祥寺美術学院と、その姉妹校である静岡美術学院で「デッサン展」というのを、静岡のボタニカ・アートスペースで開催している。石膏デッサンばかり集めたという、ちょっと変わった展示会。この四つ折りパンフは、昨日のギャラリー・トークのために準備したというもので、なかには秋山さんの若き日の石膏デッサンにまつわる思い出と創作秘話(?)のような文章が書かれている。完成前に文章を見せてもらっていたのだけれど、ギャラリーでこれをもらったら、嬉しいだろうなぁ。受験も近づいてきたし、いい感じで場があたたまってきた。ような気がする。ぼくも(今年も)出来る限りのことをしよう。

2015/09/17

冷たい雨と袋の話

 先週につづいて大雨。外に出ると、しかし、先週と違い、とても寒い。長袖シャツ1枚では寒くて、少し重ね着が必要だった。季節は着実に秋を深めていっている。

 駅前のスーパーに行くと、折り畳み傘専用(?)の傘袋のサービスが。これ、何の袋カナ?

2015/09/16

鎌倉土産

 昨夜から光海の高熱が下がらなくなって、寝苦しいようで、夜も頻繁に起きる。これでは彼も苦しいし、親も眠れなくて辛い。それで今日は急遽、支援の仕事を休ませてもらい、朝から夫婦で彼を病院へ連れて行き、昼すぎに戻り、ぼくと彼女は駅前の大好きなYO-KOの弁当を腹いっぱい食べ、母子には昼寝をしてもらって、ゆっくり過ごしたら、熱も夜には下がり、ホッとしているところ。

 写真は、鎌倉土産。風邪と貝殻と小石。

2015/09/15

パターンの風邪

 鎌倉に行って帰ってくると体調を崩す、というパターンができているみたい(今年の春がそうだった)。すっかり風邪をひいてしまって、鼻水ダラダラ。あわれな顔をしている。その顔を載せるのは可哀想なので、今日の写真は押し入れから出してきたラッパ型のカズーを吹いている彼。

2015/09/14

熱のあるレコード屋

 音楽への情熱を失ってなくて、僕はそれがとても嬉しいんです。(長門芳郎)

 赤レンガ倉庫で1ヶ月半、期間限定オープンしていたパイドパイパーハウスが閉店した。何度か足を運んで、様子を見ていた(僅かながら買い物もした)。日本の(というか東京の?)「70年代」(の若者文化?)をテーマにした展示会の出入り口にある物販店のようでありながら、よく見てみると全然そういう店ではなく。あたりまえかもしれないけれど、その時代はその時代で独立してあるものではなく、おおきな流れのなかにあるのだな。で、面白かったのは、今回のパイドパイパーハウスのウェブやラジオを通した活動のなかで知るいろんな音楽が、必ずしもこの「仮店舗」にあるとは限らないということ。どこかで買って聴いてみて! と。このおおらかさ(?)は絶対に必要。と、ぼくは心から思った。

2015/09/13

ざざぁ

 光海、こう、が、1歳6ヶ月になる日、には、鎌倉の浜に行った。1歳になる日に、行ったは行ったのだが、砂嵐の日で、浜を前に断念したのだった。半年前にはムリだったろう水遊び、というか「波遊び」もできた(もちろん足をつけるだけ)。お母さんが石や貝殻を拾っていたら、彼も真似をして、いくつか手にとって、離さず、ずっと握りしめて帰った。よかったね。

 最近、ぼくは思っている。こんな日々を、忘れないというのは、とても大事なことのような気がする。こんな日々をぼく(たち夫婦)にくれている光海に感謝しなければね。

 ざざぁ、また、行こうね!

 で、パパとママは鎌倉駅の近くにある焼き鳥屋・秀吉で買い物をして帰って食べるのが楽しみで、今回も大満足でした。ちゃんちゃん。

2015/09/12

1.5歳

 思い出か、予感か、それさえ見当のつかないものが、海のように、光のように満ち、遠い白い建物として、異国的な樹々としてたちならぶ。僕にはこの状態が幸福なのだ。(小川国夫)

 光海が生まれて、今日で1年半がたつ。1.5歳の誕生日ということ。もうそんなにたったのか、と思うと同時に、彼とはもっともっと、ずっと一緒にいるような気がする。で、とにかく元気です。というか、王様です。
 そんな日なので今日は、家族三人である場所へ行く予定。その話はまた明日にでも。本人のお祝いもあるけど、1.5歳だからね(誕生日じゃない)、彼のお母さんに「おつかれさま! いつもありがとう!」と伝える日という意味合いも大きい。そういう日はたまにないとあかん。そういうときだけなぜか関西弁っぽいのが出る(12年もいたからネ)。

2015/09/11

フランク・クリスチアン

 先日の長門芳郎さんのトーク&レコード・コンサートで、谷口雄さんが紹介していて、出会って、毎日くり返し聴いているのが、Frank Christian "Somebody Got To Do It"。これは(けっこうレアらしいですが)素晴らしい1枚です。ここでアコースティック・ベースを弾いている Jeff Hardy という人、9.11のとき貿易センタービルで「シェフとして働いていて」亡くなったということが、日本盤の解説に書いてありました。で、いまインターネットで調べてみたら、Frank Christian も2012年の12月に亡くなっているんですね。何も知らず、音楽だけくり返し聴いてます。人は死んでもこの音楽は(聴くひとがいる限り)生きつづける。のです。これを見つけたので、リンクしておこう。
 9.11の夜はぼくは大学生活最後の秋で、梅田の映画館で『テルミン』を観て、あのラスト・シーンはマンハッタンで、下宿に戻ってテレビをつけたら… 個人的な思い出はそれだけですが、あの夜のことはいつまでも忘れないでしょう。

2015/09/10

凄まじい雨

 昨日は凄まじい雨でした。近年まれに見る? 外出支援の仕事は、でもやることになり(中止になった「外出」もたくさんあった)「それでも外出する?」と呆れるほどの、まるで「修業」のような時間でした。全身ずぶ濡れになって、それでも当初の目的を達成させようとする彼(ゲーセンに行きたい、知的障害の当事者である中学生)と、せめて、当初の予定より近場で終わらせて帰ろうと交渉する支援者たち。雨宿りに立ち寄った風雷社中の事務所には、雨嵐のなか、近所の小学生で賑わっていて、家でおとなしくしてろよー。あ、でも、いま出ないほうがいいよ… なんて言いながら。
 写真は一晩明けて、雨上がりの道草の家。

2015/09/09

『からすのチーズ』第3刷

 悲しみの声をかき消そうとする、あのひとつのクリアな音色が聴こえるように。(ブライアン・ウィルソン「サムウエア・クワイエット」)

 昨年12月に発売して、いつものようにごく少部数、プライベート出版の名に噓をつかないノンビリ・ペースでお売りしている絵本『からすのチーズ』(サイトもほったらかしでスミマセン! 近々更新予定…)すごく控え目に第3刷があがってきました。800円という金額設定はもちろん変えず、ひきつづき販売できるように、いろいろ工夫してます(じつはこれまで売り切りの本しかつくってこなかったので、初の試みです)。今回は試しに印刷を変えてみましたが、結果は、ご覧になった方のお楽しみ。念のため書いておくと、内容は何も変えてないので、ただぼんやり読むぶんには、一緒です。線とか色とか、じっくり見て楽しむ方には、全然ちがうと思います。「少しちがう」くらいにしておきたいのですが、なかなか上手くいきません。でも、それも楽しみましょう。

2015/09/08

幸せな玄関

 靴箱がほしい、と急に妻が言いだして、買ってきたらしくて、光海が眠っている真夜中に組み立てる。なるほど、いいじゃん! 上に置いてあるのは、結婚パーティーのときに守安くんが撮ってくれた我々夫婦の写真と、アトリエの秋山さんが描いてくれた生後5ヶ月の光海。「人ん家に遊びに行くと、玄関に写真が飾ってあることが多いんだよね。家もそうしよう」ということらしい。そういえば、そうかな。「あなたが昔、書いた小説に、玄関の小説がなかった?」──あったあった。「幸せな玄関」というの。あれからもう10年以上がたつのだな。

2015/09/07

「本」が見ている夢

 僕はタダっていうのが大好きで、本当は最初から無料で公開したいんですけど、そうもいかなくて。(片岡義男)

 今夜は、この5月まで2年半くらいつづけていったん打ち止めになった「よむ会」の同窓会的な「よむ 会のつづき」を少しだけ。なぜか漱石の「夢十夜」をやることになり、「青空文庫にもあるよね」という話が出たついでに、ぼくは久しぶりに青空文庫で読んでみた。今後は「青空文庫をよむ会」ってどう? と思いもしたんだけど、それだけではアイデア不足な気がするし、きっと誰かやっているからそちらに任せて自分はやりません。
 引用した片岡義男さんのことばは、このページから。片岡さんの作品は青空文庫にもいろいろあるけれど、もうその先へ行っているような気もするし、隣にいて並走しているような気もする。小説とか文学作品とかに興味を失っても、この人の書くものはずっと読んでいるような気がする。「本」が全然べつのかたちになろうとも。

2015/09/06

派手なユーモア

 作品の作者にとっての意味は、しごとをはじめたときの具体的な条件が、はじめのおもいつきをかえてゆくプロセスにある。(高橋悠治)

 今日の“道草支援”は、清澄白河〜東京都現代美術館へ。天気の悪い日は美術館がいい。
 都へ苦情が行って撤去(?)騒ぎになった会田家のコーナー、実際にそこへ行ってみたら、これに苦情を言った人も撤去を検討した都も一種の“ジョーク”のつもりだったんじゃないかと思われた。あるいは自作自演か(真面目にやっていたとしたら、相当やばいよー)。ところで、ぼくはこの「檄」よりも、この後ろでずっと上映している「総理大臣演説」に笑いが止まりませんでした。とくに、「鎖国」から「チョコレート」に流れて行くところ。写真、「檄」よりも、みんな座ったり寝転がったり(?)しながら過ごしてるところを見てください。

2015/09/05

惨めさ

 しみじみと深くしみいるような惨(みじ)めな気持ちになることがたまにあって、今夜はそんな時間。とくに何があったというわけではないが、疲れているとそうなる。そういうときには(あくまでも気持ちのうえでの話だけど)いろんなことを全部ストップさせて壊してしまいたくなるのだけれど、それにたいした意味はないような気がする。理由はわからないけれど、昔から破壊願望があったというか。その時々で、いろんな人、いろんなものから助けてもらったのかもしれない(というのは、傍目にはわからないような部分が大きいから)。いまぼくのその破壊願望が小さく、小さくなっているのは妻子のおかげだ。小さいと、破壊も可愛い、創造物になる(かもしれない)。小さく、小さくなって、見えなくなっても大丈夫なようになりたい。

2015/09/04

木琴奏者

 秋になるのが早いなぁと思っていたら、また夏が来ましたね。暑い。
 光海はこのとおりすっかりお兄ちゃん、いや、王様になって、ごにょごにょ、ちっちっち、ですヨ。
 パパの週1回の授業は今日から二学期です。「学期」というような区切りのない仕事ばかりしているので、ひとつくらいあるっていうのは、悪くないですね。

2015/09/03

マジカル・コネクション

 夕方から家族で出かけて、赤レンガ倉庫で期間限定オープンしているパイドパイパーハウスのカフェへ。お目当ては、長門芳郎さんと谷口雄さんのトーク&レコード・コンサート。光海はちょっと変なテンションで、叫びまくりで大変だったけれど、貴重な音源&映像が満載で、すごく良かった。
 ピーター・ゴールウェイ、ヴァレリー・カーターの秘蔵ライブ映像も素晴らしかったけれど、何より驚き、感動したのが、亡きアルゾ・フロンテの自宅の「音楽室」で長門さんを相手に演奏されたというギター弾き語りの映像(ビックリ!)で。『ALZO』収録の「Sometimes」を演奏しているんだけど、信じられないくらいのあたたかさ、素晴らしい演奏で(思い出すといまでも涙が出そう)。それから、ハース・マルティネスとジョー・パスの未発表音源(なんてあるんですね)にも、じんわり。
 少しだけ初めて出会うミュージシャンの名前もあり、1枚だけすごく気になる盤があるので、また買いに行こうかな(CDでしょうけど)。

2015/09/02

空を見上げると、

 日本の本質をぼくなりにひと言でとらえるなら、日本は雨の島なのだ。(片岡義男)

 今朝は土砂降りの雨の音で目覚めた。そのあとも降ったり、止んだりをくり返していたが、昼前に太陽が顔を出した。

 見上げると、この空! 吸い込まれそうな、この空。ことばは、いらないね。しばらく、この空を、ずっと眺めてる。

2015/09/01

レイン・スティック

 9月になりました。光海が抱えて(?)いるのは、レイン・スティックという楽器で、斜めにすると、雨が降っているような、波のような、気持ちのいい涼しい音をたてます。

 もうすぐ秋。もっとも好きな季節です。良い秋が訪れますように。