2014/08/30

「ことばのワークショップ」

 この世で一番大切な事は、自分が「どこ」にいるかという事ではなく、 「どの方向」に向かっているか、ということである。(O・W・ホームズ)

 きっかけは、用件のちがった手紙のなかにぼくが「ことばのワークショップ(のようなこと)をやってます」と書いたことだった。たしかに、何かのついでには、やってきたことだ。けれどぼくには、それがそれ自体、独立したものとして、どんな人に、どれだけ通用するものなのかは未知の世界で。けれど、ちょっぴり不安のあったぼくを支えてくれたダイバーシティ工房のスタッフは確信をもって、ある意味、内容にかんしては(実際に見る前から?)自信満々で。ま、ほとんど、そのとおりだったわけです。
 こういう時間は、やっぱりたのしい。発見に満ちていて、勉強にもなる。真剣だけど、笑いがたえない。ほとんど話さなかった参加者も、身を入れてそこに「いる」ことがすごく伝わってきた。

2014/08/29

珈琲屋の雑誌

 プライベートプレス『アフリカ』はここ、つまりは府中市美好町の「珈琲焙煎舎」が発行所となっている。同時代を生きる普通の人たちの生活や思考の貴重な記録だと思っている。 (ある読者)

 今日は前々から「オフ」ということにしていた。数日前から、家で過ごすか、出かけるか、迷っていたのだけれど、やっぱり出かけることにして…
 『アフリカ』の校正者と一緒に、国立本店に寄り、珈琲焙煎舎へ顔を出してゆっくりお喋りしてきた。その焙煎舎、『アフリカ』は昨日から販売中だけれど、さっそく売れているそうで、いつもありがとうございます。また近々、「読者のつどい」みたいなの(?)をやりたいなぁ。できるかな?
 ひとまず今夜は、明日の「ことばのワークショップ」にそなえて、はやく寝ます。

2014/08/28

こし雨

 夜の雨の音は/さびしい胸にともしびのやうにともる(八木重吉「雨の音」)

 『アフリカ』最新号、本日から珈琲焙煎舎にて販売開始。ちなみに明日(金曜)、少しだけ顔を出すつもりです。「道草の家の自由時間」にも、あれこれ書きましたので、ぜひご覧ください。

 この時期にしてはいやにひくい気温のなか、雨が降りつづいてる。山下達郎のレパートリーに「こぬか雨」というのがあるけど、昨夜からはまさにそんな雨で、と言いながらいちおう調べると、「細かい糠(ぬか)のように降りかかる雨。煙るように、空中をただようように静かに降る細かな雨」。それが今夜は、「こし雨」のよう。しとしとと降りつづける長雨。日本語には雨のことばが多くて、あまりに多いので面白くなって、こんな本をつくる人も出てくるわけだ。

2014/08/27

秋が来て、また夏が来る?

 人はどこかで生きていかなければならないし、何がしかの人にならなければならないのです。(デイビット・ミッチェル)

 昨日から急に訪れた秋は、どうやら今週末で終わって、また夏が来るようなことを言っている。今夜も、寒いくらい。

 今日は『アフリカ』最新号のことを書く! と言っておいて、今夜は仕事のつづきが終わるまで、手が離せないところです。明日の朝くらいまでには書くと思います。「道草の家の自由時間」、覗いてみてくださいね。

 と思ったら、高城青が書いてくれていました。ご覧ください。「高城青と、あとひとり」を。

 写真は、山手から石川町、元町方面へ抜けるトンネル。

2014/08/26

秋へ

 今日は急に涼しく、秋のような日。朝から外出支援に出たら、もう眠くて眠くて。体がついてきていない感じ。とはいえ、これから年末にかけてが、個人的には最も好きな季節なので、心地いい。久しぶりに気持ちもノってきて、頭も冴えているので、いろんなことに気持ちが向かうのが感じられるし、じつは昨年から沈みっぱなしだった自分のなかの一部分があり、それがようやく戻って(?)きた感触。他人には知りようもないことだけれど…

 「道草の家の自由時間」を更新して、ダイバーシティ工房のイベント「READYFOR? キックオフイベント」(9/13)について書きました。それから、『アフリカ』の珈琲焙煎舎での販売開始は木曜(8/28)になりました(明日・水曜は定休日)。なので、それについては、明日書くことにいたしましょう!

2014/08/25

小さい目立たない救いの話に

 幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、 自分がやるべきことを好きになることだ。(ジェームズ・バリー)

 『アフリカ』最新号、定期購読の皆さんや関係各位へは本日発送。たいへんながらくお待たせしました。珈琲焙煎舎では、遅くても(定休日あけの)木曜には販売開始になる見込みです。しばらくお待ちください。
 今回の目玉は、なんといっても高城青の小特集。インタビューのタイトル「小さい目立たない救いの話にしたかった」というのは、やりとりの隙間に、青さんから思わず飛び出してきたようなフレーズで、そのことばをすくいとった『アフリカ』の編集者は、「青さんらしい」と思うと同時に、『アフリカ』の書き手らしい、というふうにも思うのデシタ。
 今回は前回にもまして出回る冊数が少ないので、絶対読みたい! という方はお早めに。多少は残るように計算(?)して宣伝をサボっておりますが…

2014/08/24

時間泥棒

 真実を愛するのはよいことだが、過ちは許してあげなさい。(ヴォルテール)

 時間泥棒が入ったようで、じつに時間がない。宿題が山積みのまま、この週末もアッ! と言う間もなく過ぎた。関係各位、必要なときまでには必ずやりますから、お待たせしている方はお待ちください!(当たり前か…)
 『アフリカ』の宣伝や、ダイバーシティ工房でのイベント情報などを早く出したいのですけれど… 今夜はひとまず『ふうらいラボⅣ』の毎月一回の「編集部便り」から書きました。なんでこれから? とは言わないでください。今日が〆切だったんです(笑)。相変わらずへらず口(?)ばかりですが、ニヤニヤしながらご覧ください。
 光海は、『アフリカ』の新・宣伝部長に就任するよ! と言っています?

2014/08/23

セイウチ号

 暗くならなければ、星は見えない。(C.A.ビアード)

 堺のニシダ印刷製本から、『アフリカ』最新号が届いた。まずは表紙から。
 ニシダさんとは、もう10年の付き合いだ(最近、インターネット上で広告をよく見る、たぶん、それだけ需要があるのだ)。最近、大阪の愉快なドモリスト仲間たち(NPO法人大阪スタタリングプロジェクト)がつくった冊子(『吃音を生きるⅡ〜どもる人たちのサバイバル』)もニシダさんで印刷・製本していて、それもついでに送ってもらった。親しくしているSさんが組版をやっているみたいなんだけど、かすかに『アフリカ』の影響が垣間みられて、ひとりでクスクス笑っている。
 で、肝心の『アフリカ』最新号にかんして、詳しいことはまた明日。発送からやりますので、定期購読の皆さま、もう少しお待ちください。

2014/08/22

 ちっぽけな街に生まれ 人混みのなかを生きる 数知れぬ人々の 魂に届く様に(山下達郎「蒼茫」)

 親しくている、ある方から思わぬ、粋な贈り物をいただいた。「すでに持っているかもしれないけど、朝日新聞はないでしょ?」などと言われつつ。いやいや、何新聞でも持っていませんでした。光海の生まれた日の朝刊。一面はやっぱり3.11で、トップには「あなたを思う 生きていく」という大きな文字が。誰からって? 秘密ですけど、あの、ぼくにとって第三の故郷の、いまでは実家のよう(?)になっているあの店の、あの方の家族から。一生モノだ。ありがとう!

2014/08/21

休むのも仕事

 生きてゆくということはほんとうに骨の折れることである。(宮本常一)

 今夜、道草支援(外出支援とも言う)から戻ると、妻がへたばっていて表情をなくしており、ずっと泣きわめいていたという光海はぼくの顔を見てニッコリ、あぁ、休ませないとなぁと思う。
 休むのも仕事。とはいえ、放っておくと休んでいない。そこは、意識しないといけないんだ。

 しかし、もう少し涼しくならないか。ねぇ。

2014/08/20

暑さの質

 コミュニケーションでもっとも重要なことは、相手が言葉にしなかったことを聞くことだ。(ピーター・ドラッカー)

 とにかく暑い。あまりの暑さに、夏というのは、こんなに暑かったか… なんて言っていたら、ちがう場所で会った数人が同じことを言っていて「年々暑くなっている気がする。気温の数字だけ見たら大きな変化がなくても、暑さの質が変わっている気がする」と。ぼくも同感。だけれど、ここ数年の話ではなく、この数十年の話にしてみると、どうだろう? 自分が子どものころ、どんな暑さだったか、よくよく考えてみようとしたとき、あまりよくは覚えていないことに気づく。
 これを読んでいる皆さんは、どうですか?

2014/08/19

小さな塾で

 今日は午前中から大田区で外出=出勤支援をして、夕方からは市川へ。初訪問から数ヶ月。いよいよイベントや、いろんな新しい試みがはじまる。わくわくしているところです(先日「道草の家の自由時間」に書いた以外にも追加情報があるので、数日中にまた書きます)。

 写真は、国府台(こうのだい)にある自在塾(&スタジオplus国府台教室)の庭。

2014/08/18

よい日、の一例

 誰も知れない見ず知らずの小さな人々と、ある交換をしようと思う。その気持ちから、いいプロジェクトは生まれるんです。(アキッレ・カスティリオーニ)

 今日は本当に暑い一日だった。けれど、夕方には涼しい風が吹きはじめたので、親子三人ではじめて、近所の根岸森林公園へ散歩へ行ってきた。芝生までたどりついたら、光海をベビーカーから抱き上げて、彼が最近、大好きな「たかいたかい」をたくさんした。
 それ以外は、今日は、ずっと道草の家にいた。こんな日は久しぶりだ。冷房のきいた部屋で、積み残している課題や宿題に取り組んだ。進み具合は、まぁまぁかな。でも、進めるのは日々、少しずつやるしかないので、今日はその準備ができた。それが思った以上に大きかったかもしれない(あとにならないとわかりはしないが)。なにはともあれ、よい日だった。きっと、明日にもつながる。よい日だった。

2014/08/17

海と夢

 今日の道草(外出)支援では、電車に乗って行けるところまで行こう! と、出かけて熱海まで行ってしまった。何もしなかったんですけどね。ご飯を食べただけ。あと、海を見た。海の上の雲に、目が奪われる。

 夜になって帰宅して、ご飯を食べて、子をお風呂に入れたあと、ばったり眠ってしまって、夜中に起きる。夢のなかに、もう10年、20年も会っていないような人(もう会うことはないだろう)や、数年に一度くらい、たま〜に会うけれど滅多に会えないような人が出てきて、一緒に「教室」のような場所にいた。いまだに「卒業」できていないとか、いまだに「退職」できていないという夢を、たま〜に見る。おかげで、なつかしい人たちに会えた。

2014/08/16

「自作解説をしてみよう!」

 吉祥寺美術学院のアトリエで夏に開催している「作文セッション」、今年も終わった。イベントとしては、ちょっと荒れ模様(?)で、仕切り役としては反省点も多かったが、三年目にして一番、個人的な手ごたえは大きかった。
 参加者はいつもと同様、アトリエに通う学生たちと、卒業生(大学生が中心)や縁のある人たち、あとスタッフ。ただし今回は、テーマが「自作解説をしてみよう!」で、いつもとちょっと違った(以前は「好きな色について」とか「好きな場所」についてとか、もっとザックリとしていた)。若い人たちには、少しハードルが高かったかな? そのハードルの高さが、よかったような気がする。各人の抱える問題が浮き彫りになったり、意外な発見があったり、成長ぶりが伝わってくる人もいた。参加者のなかには、いろんな葛藤も見えた。苦しさもあり、喜びもあった。
 こういう(いわゆる)ワークショップは、スムーズに執り行う工夫も必要だけれど、冒険も要る。バランスが難しいけど、手探りでやってます。

2014/08/15

陽気な絶望者

 見なれたそんな場所がいつもと少し違うように思いました。見直す気持ちになりました。あの人たちの〈不在〉が際立っているからでしょうか。(小川国夫『弱い神』)

 太平洋戦争の、終戦の日。4年前のいまごろ、渋谷の映画館・アップリンクでは『デルタ 小川国夫原作オムニバス』が公開中で、8月15日には、ぼくも上映後のささやかなトーク・ゲストに立った。そのときに、前のほうの席でぼくの話を聞きながらケラケラ笑っている男性がいて、その夜、出会った。彼はその7ヶ月後に急に(強烈な印象を残したまま)亡くなって。その後、死者に導かれるような展開がいろいろとあったのだ。今夜は、彼が生前、親しくしていた──いまは、ぼくが代わりに(?)通っているアトリエで、毎年・夏恒例の「作文セッション」をやります。
 4年前にぼくがつくった小冊子のタイトルは、『海のように、光のように満ち』。小川国夫の何かのエッセイのなかにあります。なぁんて。

2014/08/14

ある種の呑気さ

 世事万端、当時まだゆったりとした人間の気風がのこっていて、それを封建的というなら、今日、主権在民とはいうものの、なにやら世知辛い首都東京のささくれ立った環境とは、別のものがあった。(桑原甲子雄)

 最近、図書館から桑原甲子雄の写真集を何冊か借りてきて眺めていた。満州紀行以外は、東京を写したもの。身近なものしか写さない人なんだ。『夢の町』という本には、昭和9年から19年までの写真(モノクロ)が入っていて、真ん中付近になぜか、この写真集の編まれた1970年代のカラー写真がちょっと挟み込まれている。ぼくが見ているのは、太平洋戦争に突入していく前夜の、東京の町の、人びとの、明るさだ。そしてぼくがなぜいまこの人の写真にすごく惹かれているかというと、ただ撮っている、といった感じの、ある種の呑気さと、町や人や時代にたいするまっすぐ(素直? 中立的?)な姿勢があるからだ。今夜は、写真ではなく、エッセイ「庶民の頭越しに戦争の足音が…」という短い文章を読んでいる。

2014/08/13

手が動く

 外での仕事を終えて家に帰ってきたら、子の相手をして、家事もしなければならない。妻子が寝てから、自室に入って仕事をする。すでに決まっている仕事もあれば、定期的な「作業」もあるけれど、これからつくらなければならない仕事もあり、いくら時間があっても足りず、もがいている感じ。でも、ある方がつぶやいていたんだけど、はじめてしまえば、手が動く、ということはある。手が動いている、その瞬間、瞬間はいいものだ。立ち止まって、状況を確認したり、現実を思い知るときには、ふさぎ込みたくなる。自分はもうダメなんじゃないか、と意味もなく(とも言えないのがさらに苦しい)思ったりもする。でも、そう思っているときには、「自分」が自分のものでなくなっている気がする(誰のもの?)。手が動いている瞬間、瞬間は自分のものだ。疲れると、子の寝顔を見に寝室へ下りていく。

 写真は、蚊帳のなか。毎晩、吊ってます。

2014/08/12

新企画

 昨夜の予告通り、新企画「ことばのワークショップ」について書きました。スタジオplusにしても、吉祥寺美術学院にしても、誰にでも公開のイベントのようなものではないのですが、大事にしていきたい時間で、ただ共に過ごす人以外の人にはわかりづらい部分が大きいと思うので、これから徐々に書いていきたいと思っています。

 さて、今日で、光海が生まれてきて5ヶ月がたちました。新米の父母が、ここまで頑張れているのは、家族をはじめ、周囲の人たちの応援のおかげ以外の何ものでもありません! いつもありがとうございます。もちろん、光海にも、ありがとうね〜!(また1ヶ月頑張ろうね〜、と言いながら今夜はちょっと手のこんだカレーをつくりました。)

2014/08/11

「予告」と「休息」

今夜、ひとまず『アフリカ』の話から、「道草の家の自由時間」に書いた。「言い訳のリスト──『アフリカ』第23号(2014年8月号)の予告」というの。なんだか、もっともっと書き散らしていかないと、調子が出ない感じ。徐々にやっていきます。明日(火曜)には、千葉県の市川市ではじめる「ことばのワークショップ」の話を書く予定。「予告」ばっかりでスミマセン。

 週末にことのはさん(妻)からSOSが出て、ちょっと疲れがピークにきてるみたい。光海(赤ん坊)も、なんだか泣きすぎて疲れている感じだし。今日は、ひとまず奥さんのケアに費やした(短い時間でもひとりの時間をもってもらったりして)。ぼくも本当は休んでいる場合ではないのだけれど、育児や家事の合間、合間に進められる自宅仕事をこなしつつ… 夜は、交代で銭湯へ行ったりもした。写真は、深夜ごろ、空を見上げたときの月。スマホのカメラではこれが限界。実際には肉眼でくっきりとクレーターの海が見える、澄んだ夜空です。

2014/08/10

再び「みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?」

 事実性のある現場は、ひとつの価値観で簡単に測れるもんじゃないです。で、一元的に成り立ってはいない世界の方が、実は広いんじゃないでしょうか。(江弘毅)

 数日前に「この週末のうちに…」と書いていた、『アフリカ』をはじめとする最新情報は、明日・月曜に、ということにしましょう。週末を乗り越えて、へとへと、くったくたで、今夜は光海を寝かしつけようとして自分が眠っていた。
 数日前に急に、2010年の1月の奈良を思い出して、『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』を読み返している。今夜は、江弘毅さんのパートを。
 「あいつは一緒にいないと困るよね」を大事にできるような「場」や「仕事」をつくっていこう。

2014/08/09

あるメッセージ

 そういう一つの可能性として、私たちはこの苦境に手ごたえを感じているところです。(向谷地生良)

 仕事仲間が人生の大いなる危機に直面している。と、いうことにまぁしよう。でも、ぼくには、その具体的中身を知らされないし、それを知っている人がいても、教えてほしいとは思わない。彼の属している組織は組織で、順調に問題を抱えつづけていて…(以下省略)。本当の問題は、彼らが、彼らの抱えている本当の弱みを、外へ向けて発信できないということではないか、とぼくは思う。──自分が使い捨てにされるとわかっていて、よい仕事をする人をぼくは知らない。ホンモノの期待には、人は応える、というか、応えてしまう。ぼくは自分のことを、応えてしまうような期待に、しっかり応えて進んでいけば何とかなると思う。そして、のっぴきならない状況に陥った友には、人生いくらでもやり直せる、ただ、今度は強さではなく弱さを誇ってほしい、と思うのだ。いつでも会いに来て。などと気休めは言わない。でも、いつでも会いに来て。

2014/08/08

ながい、ながい時間

 本日、『アフリカ』の23号を入稿。前号から、ながい、ながい時間だった。詳しいことは、近々。

 いろいろ書きたいところだけど、今日はこれからアトリエ。この週末には、サイトの更新やら、新企画の発表(?)やら、今後の抱負やら(何それ?)書いてみたいと思っています。左の写真は、微かに『アフリカ』の予告入り。

2014/08/07

出来るだけこまかな、小さなこと

 連載を書き進めるにあたって、方針のようなものを、ひとつだけつくった。出来るだけこまかな、小さなことについて書いていこう、という方針だ。(片岡義男「5Bの鉛筆で書いた」)

 今朝、ぼくがちょっと元気をなくしていたら、この顔!

 この半年は、光海が生まれてきて、喜びの多い季節だった一方で、仕事のことをはじめ、苦悩の日々でもあった。『アフリカ』も、もう止めたいとまで思った、とはいかなくても、どうなることかと思った、と、ここで白状しておこう。でも、そこは『アフリカ』、むしろ気持ちは燃えていて。定期購読の皆様への約束もあるしね。今号も一緒につくった高城青が、先ほど「満身創痍感はあるけど(笑)、積み重ねればちゃんと進むんやなー」と感心したようなことを言っていた。そうそう、そうだった。そうしたら、また新しいアイデアも浮かんで来て、新しい風も吹こうというものだ。

2014/08/06

ひと休み

 人には何かが与えられている。どんなことがあっても、それは生かさなければならない。(マリー・キュリー)

 夏、西瓜、ひと休み。

2014/08/05

孤独な道のり

 今年、自分の部屋には、南日本新聞がつくった桜島のカレンダーを飾っている。もう2年半も帰省していない。光海に、早く、ぼくの故郷も見せてあげたい。

 今夜も(光海と彼のお母さんを寝かせたあと)遅くから『アフリカ』の仕上げに入っている。いま、これを書いている時点で、組版は残り1ページなのだけれど…(そのあと校正、微修正などの作業を入れると、やっぱり今週いっぱいくらいまでかかりそう)。

 1月に友人が「『アフリカ』は闘って(戦って?)いる」と言ったのが、ずっと頭の隅に残っている。それが、具体的にどういうことかは、わからないのだけれど、なんとなくそう言いたくなる気分はわかる気がして…
 ぼくには、どうしてみんな、同じようにやりたがるのか理解できないのだ。なので、「闘(戦)って」いるとしても、競争相手がいるわけじゃない。どこまでも孤独な道のりだ。

2014/08/04

寝返り魔

 ぼくは常に何か不調を抱えていなければ気のすまない人のようで、いまは、とにかく「書く」ほうが進まない。時間があれば、いつまでも、ぼぉ〜っとして過ごしてしまいそうだ。今夜も遅くまでやっている。

 光海は最近、寝返りができるようになって嬉しいのか、起きて布団に寝ているときには、寝返りをくり返してゴロゴロ転がっている。うつ伏せになったまま、力尽きたら、窒息が心配なので、ヒヤヒヤして見守っている。で、寝返りの写真を載せたいのだけれど、今夜は出し惜しみして、久しぶりの登場なので、よそ行きの服で。

2014/08/03

本の話がいっぱい! の会

 今月の「よむ会」は、『本の雑誌』8月号をめぐって、あれこれお喋りを。特集は「ブックオフ」で、このような「本好き」の雑誌で、ブックオフが特集されるというだけで、けっこう画期的? 冒険? などという声もあるけど、いやはや、かなりマニアックな内容ですよ!
 「よむ会」は、なんだ、かんだと言いながら、もう1年半もつづいている横浜の会。来月は、ある参加者が最近、たまたま手にしたというリチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』を。偶然だけど、ぼくはかなり思い入れの深い作者で。来月、十数年ぶりに読み返します。『西瓜糖の日々』の河出文庫版は、2003年当時、晶文社が頑張って売りつづけていた『アメリカの鱒釣り』と、数冊の詩集以外は絶版になっていたブローティガンの「小説」を、いわば「再評価」しようとする動きの最初の復刊だった。そういえば最近、また動きがないような… 『東京モンタナ急行』の復刊(できれば文庫化)があれば真っ先に買いに行くのだけど。

2014/08/02

デッサン

 昨日は親子三人で渋谷へ行き、妻はコンサートへ(ぼくからのプレゼントで)、ぼくと光海は、毎週ぼくが仕事で通っている吉祥寺のアトリエへ行ってきた。
 たぶん光海にとっては、生まれて初めての大冒険! 辿りついたアトリエでは、さっそく秋山さん(先生)が光海を描きはじめて、ぼくはそれをずっと見ていた。途中からは、学生たちもまざって、みんなで光海を描いていた。
 秋山さんは、ぼくらが滞在していた数時間で、スタッフと「ここ、もっとどうにかなんない?」とか議論(?)しながら仕上げていって、さいごは準備していた額にも入れられ、はい、光海くんにプレゼント! って。
 じつは、短い時間、小さな作品とはいえ、制作の様子を終始見るのは、ぼくも初めて。貴重な時間になった。しかも、似顔絵ではなく、ちゃんとしたデッサンで。こんなプレゼント、もらったことないよ〜。と、心のなかで泣きながら帰宅して、妻に見せたら、彼女もちょっと泣いていた。

2014/08/01

思いつくまま

 とりあえずしゃべってみるしかないという感じだった。(片山絢也「入鋏省略」より)

 8月になりました。今月、数ヶ月ぶりに、ここで、ちょっと書いてみようと思います。もちろん毎日更新、1ヶ月だけ、の予定。
 今年の1月以来、間が空いてしまった『アフリカ』の最新号が今月、ようやく出ます。そのことと… 『アフリカ』以外にも、新しい動きがありそうなので、そんなこんなを、もうすぐ生まれて5ヶ月になる光海(こう)との暮らしをまじえて。例によって思いつくまま。
 写真は、道草の家の近所、夕暮れの根岸森林公園。