働いたら充実感が得られるなんて大間違いで、人生の充実感とは究極的には、江ノ電の駅のベンチにずうっと座って、海や山や空を眺めているときに得られるようなものなのだ。(保坂和志)
自分たちの結婚パーティー(ちょっと豪勢な持ち寄りパーティーだった)のときに、お土産としてつくった「スマイル・クッキー」を久しぶりに焼いた! というので親子三人で食べた。
2015/12/07
2015/12/06
なまけものに、ぼくもなりたい。
木喰が刻んだ仏像は稚拙といわれ、あまり評価されていないけれど、それを眺めていると、人間は微笑をすれば微笑が返ってくる、ということがよくわかる。(水木しげる)
先週、外出支援で深大寺へ行き、門前に鬼太郎茶屋というのがあるのを見つけて少しお邪魔した。だからその翌日に訃報が目に入ったときには、そういう意味で少し驚いた。幼いころに「ゲゲゲの鬼太郎」を夢中で読んだ時期があるが、それよりも最近はエッセイが好きだった。河出文庫の『なまけものになりたい』のような、過剰な編集の入っていない、既発の短文をだらだら並べたようなものが良い(そのほうが水木しげるらしさが出てる)。で、今日はある人とのやりとりのなかで、上のことばをふと差し出したくなったわけ。
先週、外出支援で深大寺へ行き、門前に鬼太郎茶屋というのがあるのを見つけて少しお邪魔した。だからその翌日に訃報が目に入ったときには、そういう意味で少し驚いた。幼いころに「ゲゲゲの鬼太郎」を夢中で読んだ時期があるが、それよりも最近はエッセイが好きだった。河出文庫の『なまけものになりたい』のような、過剰な編集の入っていない、既発の短文をだらだら並べたようなものが良い(そのほうが水木しげるらしさが出てる)。で、今日はある人とのやりとりのなかで、上のことばをふと差し出したくなったわけ。
2015/12/05
思考と痛み
思考は痛みをもたらす。(鷲田清一『「聴く」ことの力』)
ぼくはそのことを意識したり、あえて意識しなかったり、たまに、つい忘れてしまっていたり、した。でも、何はともあれ考えること自体は止め(られ)ず、それがいつも自分を助けていた、だろうと思う。それだけ恵まれていたとも言えるのだろう。(今日はゆっくり書いている時間がないので、ふっとした思いつきを書きました。)
ぼくはそのことを意識したり、あえて意識しなかったり、たまに、つい忘れてしまっていたり、した。でも、何はともあれ考えること自体は止め(られ)ず、それがいつも自分を助けていた、だろうと思う。それだけ恵まれていたとも言えるのだろう。(今日はゆっくり書いている時間がないので、ふっとした思いつきを書きました。)
2015/12/04
平坦な時間〜「ERIS」最新号のこと
絵を片目だけで見る実験は本当に面白い。こうすると絵が立体的に見える。なぜか。片目では、本当は非立体的に見えるはずだ。(クレー)
昨日の午後は一昨日の夜からつづいていて雨があがり、外出支援というお仕事をはじめたころからの付き合いの、知的障害のある青年と約1ヶ月ぶりに会う。あるていど約束どおりの、まったりとした散歩と食事をして、乱れのない、平坦な時間の大切さをこちらが教わっていると思った。
無料で読めるウェブ雑誌「ERIS」最新号が出て、萩原健太さんによるフランク・シナトラのオリジナルLP全55枚のディスク・ガイド、4万字! が読める。最近は「すごい」を安売りする人が多い(ような気がしてる)のであまり「すごい」ということばを使いたくないのだが、これはすごい! ありがたいお仕事だなぁ。また、こんなものを無料で提供している、その仕組みにも興味もって見ています。
昨日の午後は一昨日の夜からつづいていて雨があがり、外出支援というお仕事をはじめたころからの付き合いの、知的障害のある青年と約1ヶ月ぶりに会う。あるていど約束どおりの、まったりとした散歩と食事をして、乱れのない、平坦な時間の大切さをこちらが教わっていると思った。
無料で読めるウェブ雑誌「ERIS」最新号が出て、萩原健太さんによるフランク・シナトラのオリジナルLP全55枚のディスク・ガイド、4万字! が読める。最近は「すごい」を安売りする人が多い(ような気がしてる)のであまり「すごい」ということばを使いたくないのだが、これはすごい! ありがたいお仕事だなぁ。また、こんなものを無料で提供している、その仕組みにも興味もって見ています。
2015/12/03
人生のように
箱根では、ほんのりとした紅葉を見ることができた。聞くと、今年の夏は涼しかったので、あまり赤くならない、このまま散るだろう、とのことだ。この写真は、帰ってきて仕事に戻り、外出支援で行った深大寺の紅葉。
もうすぐ今年も終わる。残してしまっている仕事をこなしていかなければ、と少しずつ再開してる(まずは「たくさんある」状況から脱するべく…)。とくに、アフリカキカク関連の雑用(?)が夏以降、完全にストップしていた。関係各位へは申し訳ない。ひとりでやるのには限界を感じているのだけれど、ひとりでやれるだけの規模でつづけようという気持ちもある。「ひろげる」ことの弊害(?)もある。見つける人はちゃんと見つけてくれるし、出合えなかった人とは縁がなかったということ。人生のように。
もうすぐ今年も終わる。残してしまっている仕事をこなしていかなければ、と少しずつ再開してる(まずは「たくさんある」状況から脱するべく…)。とくに、アフリカキカク関連の雑用(?)が夏以降、完全にストップしていた。関係各位へは申し訳ない。ひとりでやるのには限界を感じているのだけれど、ひとりでやれるだけの規模でつづけようという気持ちもある。「ひろげる」ことの弊害(?)もある。見つける人はちゃんと見つけてくれるし、出合えなかった人とは縁がなかったということ。人生のように。
2015/12/02
「水牛」のこと〜「小さなNO!」のこと
2015/12/01
ひげじいさんの12月
早朝、パパ、パパ、と言う声で目覚める。返事をすると、光海が何やら歌っていて、よく聴き取れない。耳を澄ましていると、とんとん、とんとん、と聴こえる。とんとん、とんとん、うえいーさん、おっほん! と言っている。あぁ、ひげじいさんの絵本の歌かぁ。とんとんとんとん(ページをめくって)ひげじいさん、おっほん! だね! そんなのいつの間に歌えるようになったの? と思ったら目が覚めた。
今日から12月だ。1年、はやいなぁ。好きな季節。
今日から12月だ。1年、はやいなぁ。好きな季節。
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