2015/04/11

何が育つやら

 珈琲焙煎舎にて。近くまで行ったついでに、ちょっと顔を出したら、朝顔(たぶん朝顔だろうと話す先生と久しぶりに会いました)が芽を出してました。これからまた何が育つやら、よくわかってない店主と、いろいろ話してきました。あ、もちろんぼくにはもっとわかりませんヨ。

2015/04/09

絵本の森で

 絵本『からすのチーズ』ですが、大田区にある絵本のお店(書店&カフェ)で販売していただくことになりました。「絵本屋ティール・グリーン in シード ヴィレッジ」というお店。じつは最近、紹介されるまで知らなかったんです。知ってしまったので、ひとまず訪ねて行ってみました。
 行ってみたら、住宅街にひっそりとありました。入ってみると、おー、かなりの品揃えです。 小さいお店なので何でも揃ってるとはいかないようですが、でも、かなりあるんじゃないでしょうか。 古本屋じゃありません。基本的には新刊書店です。外国の絵本にかんしては、洋書もあります。 絵本や(いわゆる)児童書を好きな人なら、おー、あー、ほー、へー、ふふふー、ってなるでしょう。いや、自分はなりましたってことを言いたいだけですが、笑。

2015/04/08

ここに、生きて

 私の中では、幻想が崩れかけていました。努力に努力を重ねれば、大きなことが達成できる、とひとたびは思いこんだけれど、結局そういうことはなかった。これからは自然に身をゆだねればいいんだ、自然はこの傷を癒してくれるだろう、と思いました。(小川国夫「私たちの終戦」)

 小川国夫さんが亡くなって、今日で丸7年がたちました。師がいなくなり、弟子は育つ。そのとおりになっていることを信じます。

 今年の命日には、遺稿集になった数冊のうちの一冊『虹よ消えるな』を出してきてめくっていました。死の前年に書いていた随筆が中心です。小川さん本人から「戦争」の話もいろいろ聞きました。彼というひとりの少年が体験した「戦争」について。

 ぼくはきっと、まだまだ、あと何十年か生きるでしょうから、ずっと後になって、思い出して小川さんのことはきっと詳しく書きます。いつまでも鮮明に覚えているはずです(もし忘れたらそれは書かれないだけでしょう)。とにかく慌ててやる仕事ではないと思っています。それよりも、小川さんから受け取ったものは、日々、生きてます。日々、だれかに手渡してますよね。大丈夫、少しずつやってます。それ以上の仕事はない。言われなくてもわかってると思いますけれど。

2015/04/06

バタンキュー効果

 この3週間ほど、くりかえし風邪をひいてる(自分のことを書いたつもりだけれど、じつは光海もひいてた)。この数日はとくにひどくて、喉の痛みにはじまり、だんだん咳もひどくなり、ついには頭がズキズキするまでになった(微熱ていどなのだけど、少しつづいてた)。なので週末は帰宅してご飯を食べたらバタンキューで寝て朝まで眠り、朝になると無理して出て行き仕事をして帰宅したらまたバタンキュー、だった。で、よく眠って少し休んだら、なんだか快復しました。気持ちが晴れた感じのするのが、良い証拠。明日からまたがんばろう。

2015/04/04

不思議なパワー

 「解った」とは、何処から何処へ到ることを指す言葉なのだろうか。(井川拓)

 市川での「ことばのワークショップ」も、一歩、一歩少しずつやってる。今日はその「ことばのワークショップ」で「インタビュー・ゲーム」をやったあと、スタッフが近くの弘明寺を案内してくれた。散りはじめた桜の花びらがつくる絨毯を歩いて、この老木と出会った。。花が散って、もう少し暖かくなってから、また会いに行きたいと思わせる不思議なパワーがあった。

2015/04/03

木の友達

 道草の家(我が家)のちかくで、桜の名所といえば、やっぱり根岸の森林公園かな。すぐに歩いて行ける。先日、晴れた日の昼下がりに、大好きな弁当屋で昼ご飯を買い、家族三人で出かけた。写真中央の木は、ことのはさん(妻)が、ぼくと結婚する前から仲良くしている木で、触れに行きたかったけれど、なんと新しく柵がつくられていて「入るな」と言わんばかりだ(すぐに踏み越えられるような柵だが)。誰が「入るな」と言っているかって、木々じゃないよね。

 少し離れたところから、こんにちは! 春ですね。(また来ます。)

2015/04/01

つづき

 男性には子供を産むことはできないが、そこから後のことは、大概は男だって出来るだろう。しかし、男親がいろいろなことを、できない、やらない、やりたくないのは、実は社会の構造的な理由で、やりにくくなっているのだと思う。(渡辺鉄太)

 3月は「道草のススメ」(2010年8月〜2013年6月)を開始して以来、はじめて「毎日更新」の縛りを解いて(この「新・道草のススメ」では、たまの1ヶ月間、毎日更新というのをやってきた)休み休み書いてみた。
 当初のように「孤独な生活のなかで毎日の生存を伝える」必要はとっくにないし、いまは毎日の細やかなことを伝えるより、浮かび上がって来ている自分の仕事に、じっくり取り組みたい感じ(『からすのチーズ』もそうだった)。
 かといってFacebookやTwitterでだけやっているのは、バタバタと落ち着かない。その落ち着かなさから離れる必要は、頻繁に必要だという気がする。Facebookの「いいね」や「シェア」、Twitterの「リツイート」や「お気に入り」に代表されるような「機能」の多いのが、良くもあり悪くもある。誰からも見られていないと、書かないの? 伝えようとしないの? というとまったくそうではないし、書いたり考えたりするには、誰からも見られない場も必要で。もちろん、ここは見られているので、見られているつもりで書いているものだけれど、あれほどの落ち着きのなさはない。なので最初からチャラチャラした「機能」の少ないブログ・サービスを選択している? そのつもりです。
 なので、いろんな縛りを解いていく方向性をもちつつ、でもここ(新・道草のススメ)は継続して、しばらくはだらだらやることにします。見たい人だけが見てね。
 大勢にむけたことばと、少数にむけたことばでは、必然的にその質感は変わってくる。ぼくには少数にむけてことばを探る時間が重要です。