けれど、建物というものは、人の誕生や死、歓喜や悲哀の記憶をその歴史に抱え込んでこそ、味わい深く、独特の風格を帯びてくるものなのである。そしてその風格は(人の個性に二つと同じものがないように)それぞれ違う。(梨木香歩『エストニア紀行』)
ぼくは「とにかく生きていることはいいことだ」と「生きてる」を全肯定してるんだけど(それ以上あまり考えてない)「でもさ、○○になってまで生きていたくないよね?」なんて言われたら、ちょっとは葛藤が生まれないでもない。例の事件の〈評論家〉になる前にそっちの話をしよう。答えはないよね。という話をしていた。それでも、ぼくは(どんな状況でも)「生きる」可能性が少しでもあるほうに向かうかなぁ。どんなに苦しくとも(苦しいということは生きているということだから)。そこでもし死んだほうがよいとするなら、生死とは別に、人の存在を確かにするものがいる。そうすると宗教の話になりそうですね。
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