季節は着々と移り変わってる。スーパーではふきのとうが並べて売られているのを見かけるが、道草の家の周囲のふきたちは、みんなもうこんな様子。
ぼくはようやく『アフリカ』にとりかかれそう。保留になっている仕事(曰く「プライベート出版」にかんする仕事)がいろいろありますけど、それも徐々にやります。今年の夏で『アフリカ』は10周年、ということは(アフリカという)名前に悩まされはじめてからも10周年! 映画『ロシュフォールの恋人たち』では、ダムという苗字の男性が、その苗字が理由で(マダム・ダムが嫌だからと)最愛の人と別れてしまったと悔やんでいたなぁ。創刊時から「どうしてアフリカ?」と疑問の声はひっきりなしにあり、なかには嫌悪感を示す人もいた。そこで嫌悪感を示すような人を遠ざけるための名前でもあったのかなという気がしている。そして、アフリカという名前は相変わらずしっくりこないけれど(じつはネ)、でもアフリカだったから生き延びられたという気もする。よくわからない部分もあったほうが場は強くなるということ。
ここで、ついにアフリカの謎が解明されるのか、と思って期待したのですが、まだ謎のまま。
返信削除前にも話したかもしれないのですが、得体のわからないものとして名指される側は、それをどんなふうに感じるのだろう、と思うのです。
コメントありがとうございます。前にも話したと思いますけど、それは以前何度か書いていて、ついでに言うと、知ってもたいして面白くないと思いますよ。(10周年のときに再び書こうと思います。)
削除10周年の号、楽しみにしてます。
削除P.S.
さわやかワークの小さなニュースレター、好きです。
ありがとうございます。ニュースレターについてもまた書きますね!
削除前のコメント、正確さを欠いていました。「得体のわからないものとして名指される側」ではなくて、「得体のわからないものとして名前を使われる側」でした。ま、わかってもらえる範囲の間違いだとは思うのですが。
返信削除ご丁寧にありがとうございます。
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