生きものは、自分の身が置かれた状況の中で、最善を探りながら生きていく。そう言えば聞こえがいい。要するに、当事者になって初めて建前に隠蔽されていた本性が現れる。俗な言葉で言えばぼろが出る。(梨木香歩『ピスタチオ』)
「保育」にかんする「意見」は、どれを見てもどれを聞いても、ザワザワ、モジョモジョ、するなぁ。じつは論点もハッキリしていないのかもしれない。先日は「労働」問題とのすりかえではないかと思ったんだけど、もちろんそれだけではないしねぇ。とても根が深い。考えれば考えるほど、違う答えがボロボロ出てきて、収集がつかないので、考えるの止めます。子育ての問題、うちにとっては現在進行形なので。(目下巻き込まれ中!)
いまは、おおきな「社会」がどうあるかよりも、まわりを見ると、イロイロサマザマなちいさな舟が、たくさん浮かんで、互いに合図を送っている。そのちいさな明かりのほうを信じよう。
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