しみじみと深くしみいるような惨(みじ)めな気持ちになることがたまにあって、今夜はそんな時間。とくに何があったというわけではないが、疲れているとそうなる。そういうときには(あくまでも気持ちのうえでの話だけど)いろんなことを全部ストップさせて壊してしまいたくなるのだけれど、それにたいした意味はないような気がする。理由はわからないけれど、昔から破壊願望があったというか。その時々で、いろんな人、いろんなものから助けてもらったのかもしれない(というのは、傍目にはわからないような部分が大きいから)。いまぼくのその破壊願望が小さく、小さくなっているのは妻子のおかげだ。小さいと、破壊も可愛い、創造物になる(かもしれない)。小さく、小さくなって、見えなくなっても大丈夫なようになりたい。
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