「人生はいくつかの時期にわけられる」というのはどういうことなのか書こうとしたのだけど、『アンビエント・ドライヴァー』のどこにそれが書いてあったか、わからなくなってしまった。そのページを開かなくても記憶で書けるのだけど、そのうち見つかるかもしれないので、それまで待てという意味だと思ってしばらく待ってみる。
ぼくは昨年の後半から、何だか「次」の段階に入ったような気がしている。でも、いまはあまり大きな飛躍ができない。子が幼すぎるからね、ということを含めてうちのいまの状況を考えると、とにかく日々平穏に過ごしたい。というより、そういう「次」の段階なのだ。そう思うと、この国は、とても生きていきづらい。とにかくただ生きていくだけのことにお金がかかりすぎる。不作の年も大量の年貢を納めさせて農民を苦しめていたという社会と何らかわりない気がしてくる。話がそれたような気もするけど、ぼくの「次」がどうなっているかは自分でもわからない。それがわかったらそれは「次」じゃないでしょ?
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