ことばは行動である。(スタニスラフスキー)
ぼくはどもって声が出ないときに、笑う癖がある。人によっては顔をしかめるとか、仕草が大きくなるとからだを叩くとか、頭をふるとか、あまり大きくなると問題も大きくなってくる。ようは、出にくい声を出すために勢いをつけている(?)わけだ。先日、そのぼくの「笑い」にこわばった表情を見せた人がいた。仕方のないことだ。また別の先日、知的障害の人たちに長年かかわってこられたという方が、「吃音」ということばは最近知ったが、と触れて、「(その人が吃音者かどうかは)話せばわかる」と言っていて、少しガッカリしたのだった。でも、人ってそんなもんだ、と思ってるところもある。しかし、そこで崇高な理念というのか、理想のようなことを語られると、はっきり言ってぼくはしらけるのだ。それは現実をしっかり(はっきり)捉えられていないからではないかと思う。現実がしっかりしていたら、非現実的な理想でも耐え得るだろう。
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