作品によってアートの歴史を書き換えたい、人々に承認されたいという欲望よりもずっと以前に、自分の中に生じた固く小さな棘のような、違和の感覚。それをどうしても見過ごせない人が、誰に頼まれたわけでもなく何かを作り始める。世界に対して受動的でしかない己の存在を、なんとか能動的なものに作り替えようと試みる。そのような止むに止まれぬ無償の行為とそこに賭けられた闇雲なエネルギーが世界の表面に残した痕跡を、他に名付けようもなく「アート」と言うのです。(大野左紀子)
鷲田清一『素手のふるまい』を読んでいたら、出てきたことば。その「違和の感覚」を手放せずに来た。だから、つづけている、というと少し違う。やらずにはおられなかった、その衝動がずっと「つづいて」いる。
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