ぼくには、「自分の伝えたいこと」なんてあるだろうか? あるとして、そんなことが「伝えよう」とする前からわかっているだろうか? ある人たちには、そんなに「自分の伝えたいこと」があるのだろうか?
自分が「わかりたい」という気持ちは常にある。いろんなことに対して。「それはわからなくていいんだ」と言うことはあっても本当に「わからなくて(もどうでも)いい」と思っていることはない。
「わかる」とか「気づく」とか、ということを、他人任せにしたくない。そこで自分の仕事をしていれば通じる人には通じる。いま、ぼくは「伝える」ではなく「通じる」ということばを使った。
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