ひとりだなぁと思っちゃったんじゃない?(ある日の「モーニング・ページ」から)
1ヵ月前にここで何を書いていたか見返すと「再開の4月」と書いてある。あぁそうだった。今月は、じつは帰省の間は休んだのだけど、それ以外は毎日「モーニング・ページ」をやった。つづけていると、あらためて、ただ、つづけることが大事なんだ、と感じられる。何かの役にたつように、などと考えないように。「モーニング・ページ」は、ただの排泄(ことばの)だ。とはいえ、そろそろ、少しだけ見返してみてもいいかな? と欲が出てきたので、見返してみると、自分でも意味不明な箇所が見えてくる。よくわからないが、心にひっかかったことばの息吹が感じられたら、それでよし。「わかる」ことより「生きている」ことのほうが大事だ。「モーニング・ページ」を開いていない時間、表紙には、1月に葉山で観て以来お気に入りのヘレン・シャルフベック「少女の頭部」のポストカードを挟んである。
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