この世に一拍子という考え方はないけれど、ぼくは常々「ブギウギは一拍子だ」と思っていた。ひとつひとるの拍子が独立して、それが無限につながっていく。(細野晴臣)
週明けの月曜、じっくり朝寝をして気分爽快、「Daisy Holiday!」を録音で聴く。Radikoには最近「タイムフリー」機能というのが出来て、番組によるけれど、放送から1週間は(1台のパソコンからだと3時間の間だけという縛りはあるが)いつでも聴ける。ちょっぴり複雑な気もするし自分は相変わらず決まった放送は録音して聴いているのだけれど、便利は便利。便利なものには思わず巻かれてしまう。なのでリンクを貼ったのはインターFM「Daisy Holiday!」のサイトではなく、Radikoのサイトを貼りました。今週は「ブギウギ特集」、10代の頃、The Beach Boysのレコードを聴いていたらブギウギのピアノ曲が入っていて、それ以来好きなのだ。
2016/10/31
2016/10/30
かけらもないさ
「外出支援」の現場には、当人が行きたい場所へ一緒に行くサポートもあれば、どこでもいいから外出させてくれという場合もある。「どこでもいい」と言われる場合には、当人と相談しつつ(ことばが使えなくても相談はできるのであります)「どこか」へ出かける。ぼくの行きたい場所へ連れて行くというのはわかりやすい例かもしれない。ただし、行きやすい場所、行きにくい場所というのもある(距離とか場所柄とか)。できれば自分ひとりでは行かないが、彼と一緒ならちょっと行ってみてもいいな、と思う行き先を考えるようにしている。で、今日はあざみ野へ。ギャラリーでは「悪い予感のかけらもないさ」というグループ展をやっていた。
2016/10/29
2016/10/28
違和感は宝物〜ルーサイトギャラリーの「しょうぶ学園展」
浅草橋のルーサイトギャラリーへ行ってきた。「as we are : 描く コト と、縫う コト しょうぶ学園展」とドキュメンタリー映画『so:but[and]=1.2.3.4-あらかじめ,情動の.』上映を観て、福森伸さんと内田明夫さんのトークに耳を傾ける夜。図々しく打ち上げの席にまで参加させてもらって、気になっていた人たちに「会う」ことができたのは幸いだった。書かれたものや映画からは伝わりづらかったものがいろいろ感じられた。はっきり言うと、5月にしょうぶ学園で感じたあの感じは、ルーサイトギャラリーではあまり感じられなかった。けれど、そこにいまぼくの離れられない、何というか、違和感のようなものがある。「違和感がある」というのは、最近の人が悪いことのように言われるのをよく聞くが、ぼくはそうは思っていない。違和感は宝箱のように感じられる。いろんな矛盾を抱えてやっている(きっと、みんな)。もっともっと大事にしてあげようと思った。写真は自分への(クッキーは妻子への)お土産、さすがシャレてる。
2016/10/25
ある本と、ある人の話
子どもの気持ちを、大人が見下ろして分析するより、わが身をふり返り、思いだして共感したい場面は少なくないはず──なにしろどんな大人も、かつては子どもだったのだから。(山本ふみこ「思いだす」)
横浜へ引っ越してきた頃、図書館で借りて、そのあとも何度か借りて読んだ山本ふみこ『親がしてやれることなんて、ほんの少し』を先日、たまたま見つけて買った。ウェブで買うことは出来たのだけれど、どこかで、バッタリ出会うのを楽しみにしていた(この数年間)。もったいなくて、なかなかページを開けない。そしていまぼくは小川国夫さんの話を久しぶりに書いている。これまであまり書いたことのない話、人に話すことはあっても書かないできたのだけれど、いま書く気になったのは、吉祥寺のアトリエでの毎週の授業を通して、だった。原稿依頼が来たというのもタイミングというものか。いまはいろいろ抱えていて、時間の余裕はないのだけれど、断れない仕事というのがある。
横浜へ引っ越してきた頃、図書館で借りて、そのあとも何度か借りて読んだ山本ふみこ『親がしてやれることなんて、ほんの少し』を先日、たまたま見つけて買った。ウェブで買うことは出来たのだけれど、どこかで、バッタリ出会うのを楽しみにしていた(この数年間)。もったいなくて、なかなかページを開けない。そしていまぼくは小川国夫さんの話を久しぶりに書いている。これまであまり書いたことのない話、人に話すことはあっても書かないできたのだけれど、いま書く気になったのは、吉祥寺のアトリエでの毎週の授業を通して、だった。原稿依頼が来たというのもタイミングというものか。いまはいろいろ抱えていて、時間の余裕はないのだけれど、断れない仕事というのがある。
2016/10/22
長井港のつみれ汁
久しぶりに長井港へ足をのばしてきた。三崎口からバスに乗ってゆく。観光客はみな三崎港のほうへ向かうから、こちらは静かな海岸が保たれてる。直売所で売っている弁当(海鮮丼500円)と、つみれ汁(100円)をいただいて、あとは海岸をずっと歩いた。「外出支援」の仕事で、たまに行く。いつか(仕事でなく)妻子と一緒にも行きたい。
2016/10/19
2016/10/18
2016/10/17
何かいる
昨日の上映会のあとで、光海へお土産をいただいた。何だろう? 朝になって起き出してきた彼に手渡す。よく見ると、『はらぺこあおむし』の包装の紐に、むむ! 何かいるぞ! と光海の心はワクワク。満面の笑みを浮かべて、ぱぱ、これなぁに?
2016/10/16
私たちの映画、私たちのことば
語ることがまことのことばを封じ込める、ということがないだろうか。まことのことばを知るためにこそ、わたしたちは聴くことをまなばねばならない。(鷲田清一『「聴く」ことの力』)
映画『私たちの話し方』上映会にお越しくださった皆様、ありがとうございました! 吃音の人が何か主張してるような映画ではないし、いろんな人の声が入っていて、映像も素晴らしいし(マイケル、どんな人だろう? まさか映像の素人ではないよね?)よかった〜。と話しつつ、つづきはまた? どこかで。今日の上映のこと、映画のこと、今日の語り合いのこと、ゆっくり振り返ろうと思います。
映画『私たちの話し方』上映会にお越しくださった皆様、ありがとうございました! 吃音の人が何か主張してるような映画ではないし、いろんな人の声が入っていて、映像も素晴らしいし(マイケル、どんな人だろう? まさか映像の素人ではないよね?)よかった〜。と話しつつ、つづきはまた? どこかで。今日の上映のこと、映画のこと、今日の語り合いのこと、ゆっくり振り返ろうと思います。
2016/10/15
汽車ポッポの公園
妻の誕生日、最近借りてきた本で知った大森の交通公園へ行く。もっとも我々は「汽車ポッポの公園」と呼んでいる。光海は運転席に入り浸って、いろんなところを触り、大喜び。汽笛がなり、車輪が動く時間になると、多くのこどもたちがやってきた。光海は最初こそビビっていたが、すぐに慣れて、動く車輪をずっと見ていた。公園を出たあとに彼が言ったのは「きしゃぽっぽ、はしらなかったねぇ」でした。で、妻の誕生日、美味しいカレーを食べて、公園で遊び、「大九州展」とデパートの地下で少し買い物をして、穏やかな日だった。
2016/10/14
沈黙に慣れること
ここのところ、吃音の調子が悪い。吃音サンの側から見れば「絶好調」とも言える。と、最近はよく言っている。数年に一度あるかないかの「波」がきてる。こういうときは、良くも悪くも、何かが起こりやすくなる。坦々とはいかない。しかし、楽しみでもある。どうせなら、面白い出会い、面白い発見を得たい。
週に1度の授業でも、最近、ぼくは話そうと思うことの多くの割合を諦めてしまっている。それでも何か訊かれたら無理してでも応えるのだろうが、訊かれないと話さない(話せないというか)。その分、いつも以上に準備してゆく文章は良いものを、と思うが、それも読まれなければどうしようもない。ぼくがぺらぺら喋って、うまいことをいっぱい言って、みんなを気持ちよくさせて、学んだ気にさせるより、ぎこちなくても、このほうが彼らのためには良いのかも… 自分にはどうか… と考える。まずは声の出ない時間… 沈黙に慣れることだ。
週に1度の授業でも、最近、ぼくは話そうと思うことの多くの割合を諦めてしまっている。それでも何か訊かれたら無理してでも応えるのだろうが、訊かれないと話さない(話せないというか)。その分、いつも以上に準備してゆく文章は良いものを、と思うが、それも読まれなければどうしようもない。ぼくがぺらぺら喋って、うまいことをいっぱい言って、みんなを気持ちよくさせて、学んだ気にさせるより、ぎこちなくても、このほうが彼らのためには良いのかも… 自分にはどうか… と考える。まずは声の出ない時間… 沈黙に慣れることだ。
2016/10/13
秋の風
昨夜、ある人に吃音の話をしたら、「下窪さんは下窪さんで、吃音さんではないから」と言われて、嬉しかった。まったくその通りで、同じように、知的障害のある人も(どんな障害のある人も)「障害さん」ではないのだ。
2016/10/12
お会式コント
からすの画伯がピアノ教室に行くのに付き合う夜。池上はお会式で祭りの真っ最中。画伯は「お祭りで、晩ご飯?」とご飯のことしか頭にない。祭りを眺めて楽しんでいる付き人(ぼくのこと)をヨソに「あ、ほら! ポテトもってる人がいた!」とポテトを買うことで頭はイッパイ。夜店を前にしたら、あれも、これも、あ、やっぱりあれも、とついつい買いすぎて、でも、年に一度のお祭りだからね(たぶん)いいよね、と付き人もつい甘くなってしまった。しかし、帰り際、「あ! 小さいたこ焼き!」と先ほど買ったたこ焼きはナシにしてまた買うとおっしゃるのでふざけるなと「口論」になりましたとさ。(注:画伯は自分のことを「こども」だと思っている…かどうかは知りませんがそうだと言い張るというので知られています。「こども」は「ちいさい」ものを好むのだそうです。)
2016/10/11
近代美術館の小さな部屋
彼の絵に在る空間は、閉じられた空間ではなく、そこに描かれている人々が重い空気を押しのけて存在していて、その上に大きな空が広がっているようだ。その空からは陽が差したり、雨が降ったり、星々の囁きが聴こえたりしているのだ。(奈良美智、麻生三郎の絵について)
関東の美術館で好きなのは、ぼくは東京国立近代美術館で、常設展の企画が、あれほど充実している美術館はそうないような気がしている。派手さはないが、展示に創意工夫が満ちていて、あぁ、この美術館で展示を考えている人たちはものすごく美術が好きなんだなぁという気がする。美術館なのだからそんなの当たり前だと言われるかもしれないが、自分が心からそう感じられた美術館は数えるほどしかない。先日行ったときにも注目されているトーマス・ルフ展より(それもよかったが)奈良美智が選ぶコレクション展の小さな部屋が予想以上に良くて、お持ち帰り自由の小冊子もすごくいい。普段使いの本はこんな冊子でいいという気がしている。
関東の美術館で好きなのは、ぼくは東京国立近代美術館で、常設展の企画が、あれほど充実している美術館はそうないような気がしている。派手さはないが、展示に創意工夫が満ちていて、あぁ、この美術館で展示を考えている人たちはものすごく美術が好きなんだなぁという気がする。美術館なのだからそんなの当たり前だと言われるかもしれないが、自分が心からそう感じられた美術館は数えるほどしかない。先日行ったときにも注目されているトーマス・ルフ展より(それもよかったが)奈良美智が選ぶコレクション展の小さな部屋が予想以上に良くて、お持ち帰り自由の小冊子もすごくいい。普段使いの本はこんな冊子でいいという気がしている。
2016/10/10
じゃばら湯とプロ野球と雙十節とおでんの休日
疲れている。何がどうということはない、自分が疲れているというのがハッキリわかる。よし、今日はひと休み! ということにして、家族三人でのんびり銭湯にでも出かける。10月10日は「じゃばら湯」、「じゃばら」は紀州・北山村でとれる「幻の柑橘」、「邪を払う」というが、光海は番頭さんから「じゃばら飴」をもらえてご機嫌。ぽかぽか足下からあたたまる。ふわふわ浮いたまま帰宅して、おでんを仕込みながら予定されている来客を待つ。ラジオでプロ野球のクライマックスシリーズ横浜vs巨人最終戦を聴きながら(もちろん横浜を応援)。延長戦の行き詰まる試合で、しかも横浜が勝ったので大満足。夜は初めて道草の家に来た客とおでんをつつきながら「巌」のひやおろしを愉快に飲む。お昼にその日本酒を買いに出た中華街では「雙十節(そうじゅうせつ)」のお祭りをやっていた。爆竹の凄まじい音と火薬の匂い。肌寒くなってきて、秋を感じる。いろんな魅力的な仕事がぼくを待っている。力を蓄えた日でした。
2016/10/09
夕焼けの絶品
昨日、多摩川の夕焼け、目的の場所まで、ずっと歩いていった。今日は今日で朝からまた「外出」という仕事、雨を避けて美術館へゆき、午後は晴れたので街歩きを。仕事終わりでびゅーんと横浜に戻り、今度は急な来客としばらく語り合い。ここでちょっとひと休みが必要な気がする。
2016/10/08
力を抜く
授業をやった翌日の朝、いまちょっと困っていることの相談にのってもらう。思いついたことをいろいろ言ってもらうだけなのだけれど、とても助かる。吃音の調子も悪い(というか絶好調というか)、ちょっと力を抜くことをやろう。
2016/10/07
2016/10/06
すすきの原
今日が今年さいごの「夏」らしい。やれやれ。でもさいごだと言われると名残惜しい気がしてもくるから不思議だな。なんてぶつぶつ思いながら車椅子の人の「どこでもいいから外出」の支援。電車に乗って「遠くまで」行ってきた。電車を降りて駅を出たら見事なすすきの原! 雲がとってもきれいだった。いよいよ秋、ですね。
2016/10/05
不思議な親密さ〜「鍵のかかった部屋」のこと
すべてがとてもドラマチックだった。と同時にすべてがグロテスクであり、いささか喜劇的ですらあった。(ポール・オースター『鍵のかかった部屋』)
塩田千春「鍵のかかった部屋」の話のつづき。ぼくは塩田さんの展示には2008年に大阪で出会っていて、ずっと心に残っていた。今回はあのときと違い、新作ひとつのみ。しかも美術館でもギャラリーでもない劇場を丸ごとつかった、無数の赤い糸、無数の鍵、5つのドアによりつくられた作品。ドアを開けないと入れない部屋もあるし、開けずとも入れる部屋もある。部屋をかたちづくる赤い糸、天井のところどころには、赤い空間が奥まった先に光源があったりもする。想像するものはいろいろあるだろう。血… からだの中… 子宮、と言っている人がいてそうだと思った。奥へ進むと、錆び付いた様々なかたちをした鍵の雨… 記憶、生と死、そこは、しかし、何やらあたたかい場所のように感じる。ぼくはしばらくそこから離れたくない、不思議な親密さ。
塩田千春「鍵のかかった部屋」の話のつづき。ぼくは塩田さんの展示には2008年に大阪で出会っていて、ずっと心に残っていた。今回はあのときと違い、新作ひとつのみ。しかも美術館でもギャラリーでもない劇場を丸ごとつかった、無数の赤い糸、無数の鍵、5つのドアによりつくられた作品。ドアを開けないと入れない部屋もあるし、開けずとも入れる部屋もある。部屋をかたちづくる赤い糸、天井のところどころには、赤い空間が奥まった先に光源があったりもする。想像するものはいろいろあるだろう。血… からだの中… 子宮、と言っている人がいてそうだと思った。奥へ進むと、錆び付いた様々なかたちをした鍵の雨… 記憶、生と死、そこは、しかし、何やらあたたかい場所のように感じる。ぼくはしばらくそこから離れたくない、不思議な親密さ。
2016/10/04
「鍵のかかった部屋」のドア
ようやく行ってきた。塩田千春「鍵のかかった部屋」(神奈川芸術劇場)。劇場を丸々使った新作。しばらくその場を立ち去りたくなかった。感じるもの、考えること、触り、耳を澄まし、目を閉じたり開けたりして、いろんなことが自分のなかに沸き上がってきた。この写真は入口を入ったところにある最初のドア。自分が、そして他の来場者が、ドアのぶに手をかけて、開くときに、キキー、キー、といい音がする。
2016/10/03
おでん初め
昨日、某家でおでんを仕込んでいるのを見せつけられて以来「おでん」が頭から離れず、今夜はおでんしかない! ちょっと蒸し暑い日でしたが…(かんけいないもんね)練り物はスーパーの「おでんの具セット」で、あとは大根、ゆで卵、糸こんにゃく、牛すじ串、タコ串、豆腐、etc. それで、ビール!
2016/10/02
好きか嫌いか
学生から、「どういう支援をされたら気持ちがいいか」という問いに「それをしてくれる人のことが好きか嫌いかだよね、好きな人だったらなんだっていいよ」(『障害者のリアル×東大生のリアル』から、佐藤万理「のっぺらぼう」より、南雲明彦さんの話)
「好き?」と訊いたら「好きだよ!」と応えるだろう。「嫌い?」と訊いたら「嫌いじゃないよ!」だ。嫌いになるような日もあるだろうが、そこに「嫌い」ということばは入らないような気もする。ことばにすごく頼っているようでいて全然頼ってないようなところもある。ま、今日も元気に休日だしのんびり過ごそう。
「好き?」と訊いたら「好きだよ!」と応えるだろう。「嫌い?」と訊いたら「嫌いじゃないよ!」だ。嫌いになるような日もあるだろうが、そこに「嫌い」ということばは入らないような気もする。ことばにすごく頼っているようでいて全然頼ってないようなところもある。ま、今日も元気に休日だしのんびり過ごそう。
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