2016/04/04

すぐそばに

 「解った」とは、何処から何処へ至ることを指す言葉なのだろうか。(井川拓)

 亡くなってから今日で5年がたった。5年も… 間違いないかな。もうすぐぼくは彼の享年に追いついてしまう。あの4月を少し詳しく思い出そうと今朝、「道草のススメ」(非公開にしてあります)を見返してみた。彼が亡くなる前の数日間、訃報を聞いた日の短い数行、その後、1週間ほどの空白、府中へ戻ってからの、回想の数々。彼を見送ったあと、彼の生前の仲間たちと一緒に眺めた鴨川の風景、その後、大阪で過ごした数日間のこと、府中へ戻る前に立ち寄った藤枝での、小川国夫の命日にかかわる出来事。府中へ戻って、少しあとに帰省した鹿児島で待っていた伯母の突然の死。東京へ戻り10数年ぶりに再会した高校の先輩との話が脈々とつづく。誰のことばなのか、書いていないのだけれど、「なぜ?」を理解したいとき、人は「なぜ?」を抱えて生きていくことしかできない、とある。悲嘆に暮れた濃密な日々。まだすぐそばにある。

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