2015/04/30

土地と季節

 ぼくはいま住んでいる土地が好きだ。季節がまたかわってゆく。

2015/04/26

本の虫の本

 デカルトの時代には、よっぽど考えることが少なかったんだろう。いまは考えることが多すぎる。「ぼくは考えないから、ぼくなんだ」と言いたくなってくる。(植草甚一)

 仕事で京王線付近をうろうろしていたついでに、世田谷文学館ではじまったばかりの企画展「植草甚一スクラップ・ブック」をちょいと覗いてきた。また賑わっているんだろうと思ったが、行ってみると、あんまり人が入ってない。帰宅して妻に話したら、「植草さん、いまはもう知らない人が多いんじゃない?」と言っていた。そうかぁ。そうだな、たしかに、かつてに比べて評価が下がっていると言われたら、ぼくは信じそう。しかし、だとしたら、みんなよほどその文章のなかみに興味がないんだな(ちがうか。まぁいいや)。写真は会場の出口につくられた架空の古本屋。植草さんのつくる古本屋にしてはスッキリしすぎかな。ははは。シャレだよシャレ。

2015/04/24

明るい音

 とてもクリアな晴れた世界、音のない絵画の世界に明るい音が聞こえる。(秋山豊之)

 あたらしくつくった『からすのチーズ』のちらしに使わせてもらった秋山さんのことば。こういうことばにつられてゆくと、ひと筋の光がみつかる。ぼくはその明るい音を聞いていると、なんだか嬉しくなる。

2015/04/22

庭の力

 エッセイの行き方は方法的に非方法的である。(アドルノ)

 昨夜はまた光海と一緒に眠ってしまい、真夜中に起きだしてみたら、ぼくの部屋の本棚に大きなムカデが出た。本棚を這っているムカデは初めて見たので、ビックリした。それからそのムカデは本の奥に潜って行こうとするので、殺虫に苦心した。今年も、そんな季節がやってきた。
 朝になり、起きると、こんどは庭に出て、雑草をむしった。まだ、短い時間で対処可能なレベルだが、もう少しするとのび放題になるだろう(それを許さないとすれば頻繁に庭作業をする時間が要る)。コンクリートの隙間から、こんな立派な草がたかく、たかくのびる。引っこ抜きながら、草の力はすばらしいと思う。

2015/04/21

新代田の温室

 荻野夕奈さんの個展が、新代田のRRで開催中と聞いていて、ちょっと寄ってきた。RRは、新代田駅の改札を抜けて、横断歩道を渡ったところにあるカフェ。ちょうど雨が降り出してきたところで、蒸し暑くて、小さな植物たちが並ぶギャラリーは温室のようだった。荻野さんは虫と植物ばかり描く。キャンバスのなかは、庭だ。ぼくは彼女の一連の作品(油絵)を見ながら、庭の細部を、ぐーんとクローズアップしたときに、感じられる自然というか、とても混沌とした、生きているものの迫力を感じているのだけれど、今回の個展はとても整理された温室になっていて、あ、個展の企画者は自分とはずいぶん感じ方がちがうなぁと妙に感心していた。

2015/04/20

道草ピース

 最近は、「ピース」をするようにもなってる。「バイバイ」は、ちょっと前から(いつからだっけ?)やっていたんだけど。「ピース」しているのを初めて見たときには、ちょっとびっくりしたよ。二本指を立てるのはけっこう難しいので、三本になることが多くて、そうなると、珈琲焙煎舎に以前いた焙煎士が名づけたぼくの「道草ピース」が思い出される。さすが、我が子、かな。

2015/04/17

立ち話

 人間には生きていく上でいろんな苦労があるよね。どの苦労を選ぶ? そのセンスを重視するのです。(向谷地生良)

 一日中、家にいられる日が、たまにある。天気がいいと、嬉しい。光海を連れて散歩に出られるから。出たところで、お隣さんに会い、立ち話をする。「ものを書く人なんだって?」と言われる。「あ、まぁね」と言うことにしてる。間違いではないものね。福祉に携わっていたりものを書いていたり先生をしていたり本をつくっていたりして、そう言うとなんだか忙しそうだ。そんな話はてきとーにして、光海も一緒に世間話をする。他人が入ると、彼は妙に大人しい(さっきまでの腕白ぶりはどこへ?)。「うちには相変わらず黒電話しかなくて」と言われる。道草の家の周囲だけ、時間の流れが違う。ぼくは、ここに引っ越してきて良かったと思ってる。

2015/04/16

ラーメン罪

 「外出支援」の仕事も、相変わらずつづけてます。これはある日のひとコマ。とってもから〜いラーメンを頼んで、その上に粉末になった唐辛子をスプーンに山盛り3倍ぶっかけたとこ(いや、これは少し食べたあとか)。もちろんぼくではなく、「障害」のある彼の流儀(自分が食べたら、からだを壊すかも)。このあと、彼はスープから飲み干し、唐辛子ソースのかかった麺をむさぼるように食べていた。
 異常に(と自分には感じられる)刺激物を求める傾向は、ぼくが付き合っている人たちのなかに多い傾向で、それが「障害」のなせる技なのかどうかは不明。その前に、こんなにラーメンばかり食べたがるのは何故か。ラーメンは、けっこう複雑な食べ物のはずだけれど(麺がありスープがあり具が乗っていて)。その「障害」を「ラーメン障害」と名づけるか、彼らにそれを教えこんだ人たちに「ラーメン罪」を与えるか、その差は微妙なところか。どうか。

2015/04/13

ふー

 もし芸術にとりくみたければ、人生にとりくみなさい。(チェーホフ)

 最近は、「ふー」「ふー」が、彼のなかでのブームです。何を「吹いて」る? その話はまた。でも、最近はなんでも(いつでも、どこでも、思いついたように)「ふー」「ふー」なんだ。

2015/04/11

何が育つやら

 珈琲焙煎舎にて。近くまで行ったついでに、ちょっと顔を出したら、朝顔(たぶん朝顔だろうと話す先生と久しぶりに会いました)が芽を出してました。これからまた何が育つやら、よくわかってない店主と、いろいろ話してきました。あ、もちろんぼくにはもっとわかりませんヨ。

2015/04/09

絵本の森で

 絵本『からすのチーズ』ですが、大田区にある絵本のお店(書店&カフェ)で販売していただくことになりました。「絵本屋ティール・グリーン in シード ヴィレッジ」というお店。じつは最近、紹介されるまで知らなかったんです。知ってしまったので、ひとまず訪ねて行ってみました。
 行ってみたら、住宅街にひっそりとありました。入ってみると、おー、かなりの品揃えです。 小さいお店なので何でも揃ってるとはいかないようですが、でも、かなりあるんじゃないでしょうか。 古本屋じゃありません。基本的には新刊書店です。外国の絵本にかんしては、洋書もあります。 絵本や(いわゆる)児童書を好きな人なら、おー、あー、ほー、へー、ふふふー、ってなるでしょう。いや、自分はなりましたってことを言いたいだけですが、笑。

2015/04/08

ここに、生きて

 私の中では、幻想が崩れかけていました。努力に努力を重ねれば、大きなことが達成できる、とひとたびは思いこんだけれど、結局そういうことはなかった。これからは自然に身をゆだねればいいんだ、自然はこの傷を癒してくれるだろう、と思いました。(小川国夫「私たちの終戦」)

 小川国夫さんが亡くなって、今日で丸7年がたちました。師がいなくなり、弟子は育つ。そのとおりになっていることを信じます。

 今年の命日には、遺稿集になった数冊のうちの一冊『虹よ消えるな』を出してきてめくっていました。死の前年に書いていた随筆が中心です。小川さん本人から「戦争」の話もいろいろ聞きました。彼というひとりの少年が体験した「戦争」について。

 ぼくはきっと、まだまだ、あと何十年か生きるでしょうから、ずっと後になって、思い出して小川さんのことはきっと詳しく書きます。いつまでも鮮明に覚えているはずです(もし忘れたらそれは書かれないだけでしょう)。とにかく慌ててやる仕事ではないと思っています。それよりも、小川さんから受け取ったものは、日々、生きてます。日々、だれかに手渡してますよね。大丈夫、少しずつやってます。それ以上の仕事はない。言われなくてもわかってると思いますけれど。

2015/04/06

バタンキュー効果

 この3週間ほど、くりかえし風邪をひいてる(自分のことを書いたつもりだけれど、じつは光海もひいてた)。この数日はとくにひどくて、喉の痛みにはじまり、だんだん咳もひどくなり、ついには頭がズキズキするまでになった(微熱ていどなのだけど、少しつづいてた)。なので週末は帰宅してご飯を食べたらバタンキューで寝て朝まで眠り、朝になると無理して出て行き仕事をして帰宅したらまたバタンキュー、だった。で、よく眠って少し休んだら、なんだか快復しました。気持ちが晴れた感じのするのが、良い証拠。明日からまたがんばろう。

2015/04/04

不思議なパワー

 「解った」とは、何処から何処へ到ることを指す言葉なのだろうか。(井川拓)

 市川での「ことばのワークショップ」も、一歩、一歩少しずつやってる。今日はその「ことばのワークショップ」で「インタビュー・ゲーム」をやったあと、スタッフが近くの弘明寺を案内してくれた。散りはじめた桜の花びらがつくる絨毯を歩いて、この老木と出会った。。花が散って、もう少し暖かくなってから、また会いに行きたいと思わせる不思議なパワーがあった。

2015/04/03

木の友達

 道草の家(我が家)のちかくで、桜の名所といえば、やっぱり根岸の森林公園かな。すぐに歩いて行ける。先日、晴れた日の昼下がりに、大好きな弁当屋で昼ご飯を買い、家族三人で出かけた。写真中央の木は、ことのはさん(妻)が、ぼくと結婚する前から仲良くしている木で、触れに行きたかったけれど、なんと新しく柵がつくられていて「入るな」と言わんばかりだ(すぐに踏み越えられるような柵だが)。誰が「入るな」と言っているかって、木々じゃないよね。

 少し離れたところから、こんにちは! 春ですね。(また来ます。)

2015/04/01

つづき

 男性には子供を産むことはできないが、そこから後のことは、大概は男だって出来るだろう。しかし、男親がいろいろなことを、できない、やらない、やりたくないのは、実は社会の構造的な理由で、やりにくくなっているのだと思う。(渡辺鉄太)

 3月は「道草のススメ」(2010年8月〜2013年6月)を開始して以来、はじめて「毎日更新」の縛りを解いて(この「新・道草のススメ」では、たまの1ヶ月間、毎日更新というのをやってきた)休み休み書いてみた。
 当初のように「孤独な生活のなかで毎日の生存を伝える」必要はとっくにないし、いまは毎日の細やかなことを伝えるより、浮かび上がって来ている自分の仕事に、じっくり取り組みたい感じ(『からすのチーズ』もそうだった)。
 かといってFacebookやTwitterでだけやっているのは、バタバタと落ち着かない。その落ち着かなさから離れる必要は、頻繁に必要だという気がする。Facebookの「いいね」や「シェア」、Twitterの「リツイート」や「お気に入り」に代表されるような「機能」の多いのが、良くもあり悪くもある。誰からも見られていないと、書かないの? 伝えようとしないの? というとまったくそうではないし、書いたり考えたりするには、誰からも見られない場も必要で。もちろん、ここは見られているので、見られているつもりで書いているものだけれど、あれほどの落ち着きのなさはない。なので最初からチャラチャラした「機能」の少ないブログ・サービスを選択している? そのつもりです。
 なので、いろんな縛りを解いていく方向性をもちつつ、でもここ(新・道草のススメ)は継続して、しばらくはだらだらやることにします。見たい人だけが見てね。
 大勢にむけたことばと、少数にむけたことばでは、必然的にその質感は変わってくる。ぼくには少数にむけてことばを探る時間が重要です。