2015/11/20
日だまりのなかで
ぼくたちの住んでいるここは、とても静かで、平和な感じがするけれど、外からは不穏な、ちょっと人が抱えるには巨大すぎる悲鳴のようなニュースや、役所からは人を惑わすような郵便がきたりする。とくにショッキングなニュースを前にしたら、みんな饒舌になるというか、ちょっとした躁状態になっているのを感じる。いろんなことを感じたり考えたりすればよいが、ぼくはひとつだけ気をつけていることがあり、いろんな情報にたいして自分が「評論家」のようにならないようにしたいということだ。
2015/11/19
「ワークショップ」というあり方
もう半月前になるけれど、静岡美術学院へ初めて行き、「インタビュー・ゲーム」のワークショップをやった。夏に吉祥寺でやったものを少し変えて。イントロの部分で「絵を見て感動したことはあるか?」という質問が出たので、面白くて、それを採用して全員に聞いてみたところ、やっぱり「ない」という人がいるんですね。「ない」でも「ある」でもいいんだけど、そこから個々が秘めている「インタビュー・ゲーム」の森へ入ってゆく。で、やっぱり「ある」人ばっかりじゃなくて「ない」人がいたほうが面白いし、「ある」と思っていた人も、「あれ、ほんとうにあるかな?」という気持ちが生まれるかもしれない。最近いくつかの場所で「ワークショップ」をはじめていて、自分のなかで明確に決めていることは、感じ方は個々に委ねよう、ということ。たとえば障害福祉をめぐるワークショップであれば、「自分は障害者を差別している」という人が出てきても良い場にするわけだ。ただし「差別すべきだ」ではなく「自分は差別している」という感じ方を差し出せるような場にしたい。
2015/11/18
「わかる」ということ
本当に他の悲しみがわかるということは、自分もすっかり悲しくなることである。(森田真生による岡潔のことば)
いま話題のこの本を、じつはぼくも読んでる。発売と同時くらいに買っていた。吉祥寺のアトリエで最近、「わかる」とはどういうことか? を考えることが多かった。それでこの人の書くものにぶつかってピーンときたわけ。もっと言うと森田真生さんの書いている岡潔が「わかる」ということについてたくさん書き残していて、岡さんの本も読みはじめてる(ふたりとも数学者)。森田さんはぼくより5歳くらい若い、岡さんはぼくより80歳くらい上だ(ぼくが生まれる前年に亡くなっている)。岡さんの本を読むと、太平洋戦争のこと、戦前・戦後の教育のこと、いや、それよりもっともっと大切なこと──たとえば人の命のことなんかへの深い言及がスッ、スッと入ってくる。いまはこれらの本を手元に置きながら進もうと思う。
いま話題のこの本を、じつはぼくも読んでる。発売と同時くらいに買っていた。吉祥寺のアトリエで最近、「わかる」とはどういうことか? を考えることが多かった。それでこの人の書くものにぶつかってピーンときたわけ。もっと言うと森田真生さんの書いている岡潔が「わかる」ということについてたくさん書き残していて、岡さんの本も読みはじめてる(ふたりとも数学者)。森田さんはぼくより5歳くらい若い、岡さんはぼくより80歳くらい上だ(ぼくが生まれる前年に亡くなっている)。岡さんの本を読むと、太平洋戦争のこと、戦前・戦後の教育のこと、いや、それよりもっともっと大切なこと──たとえば人の命のことなんかへの深い言及がスッ、スッと入ってくる。いまはこれらの本を手元に置きながら進もうと思う。
2015/11/17
偶発性の尊重
山下達郎のツアーに行く、コンサート以外のお楽しみのひとつが、このパンフレット。今回も合計3万字超え(らしい)(自分で数えたわけではないですが)の読み物が収録されていて、『SONGS』を「より深く知るための、スペシャル・セルフ・ライナーノーツ」(ようは自作解説)と、これまでのコンサート・ツアーをめぐるロング・インタビューの2本で、テキストは能地祐子さんによるもの。『SONGS』のほうには、大瀧(詠一)さん(念のために書いておくと『SONGS』のプロデューサー)の仕事には「偶発性の尊重」がつよくあったというようなことが書かれていて、いや、それもずっと感じながら聴いてきましたけど、さらに細やかな発見があった。
コンサートの半ばでは、世界中にはびこっている「戦争」のこと、2日前に起こったパリの同時多発テロのことにも少し触れて、数年前にも披露していたある曲を演奏した。強いファンク・ビートにのった宮里陽太のソプラノ・サックスが、信じられないような、遠く、どこまでも届くような息のながーいロング・トーンを聴かせた。
コンサートの半ばでは、世界中にはびこっている「戦争」のこと、2日前に起こったパリの同時多発テロのことにも少し触れて、数年前にも披露していたある曲を演奏した。強いファンク・ビートにのった宮里陽太のソプラノ・サックスが、信じられないような、遠く、どこまでも届くような息のながーいロング・トーンを聴かせた。
2015/11/16
2015年のシュガー・ベイブ
ちっぽけな街に生まれ 人混みの中を生きる 数知れぬ人々の 魂に届くように──「蒼茫」
今年も山下達郎さんのコンサート・ツアー「PERFORMANCE2015-2016」の一夜へ行ってきた。今回は道草の家から徒歩圏内の神奈川県民ホール。はじめて演奏する曲、久しぶりの曲、ずっとやりたかったカバー曲、などイロイロありますけど、基本的には「山下達郎のコンサート」の型通りの、いわばワン・パターン。でもたとえ毎回まったく同じであっても(同じではないのですが)、そのサウンドのなかに身を置くだけで、何か日々のなかでとても大切に思われることをもらえる。そうそう、いつも何かあったときの「おまけ」で演奏されるアレを、15年くらい聴いていて初めて生演奏で聴けました。ラッキー。いろんな思いのつまった3時間半。また明日から頑張ろう。
今年も山下達郎さんのコンサート・ツアー「PERFORMANCE2015-2016」の一夜へ行ってきた。今回は道草の家から徒歩圏内の神奈川県民ホール。はじめて演奏する曲、久しぶりの曲、ずっとやりたかったカバー曲、などイロイロありますけど、基本的には「山下達郎のコンサート」の型通りの、いわばワン・パターン。でもたとえ毎回まったく同じであっても(同じではないのですが)、そのサウンドのなかに身を置くだけで、何か日々のなかでとても大切に思われることをもらえる。そうそう、いつも何かあったときの「おまけ」で演奏されるアレを、15年くらい聴いていて初めて生演奏で聴けました。ラッキー。いろんな思いのつまった3時間半。また明日から頑張ろう。
2015/11/15
世界地図とノコノコ展
世界地図を、じっくりとながめてみよう。地図帳ではなく、できるだけ大きな一枚の紙に印刷した、世界地図だ。(片岡義男)
片岡義男の(気の遠くなるような?)アーカイブをはじめている「片岡義男.com」が、毎朝、エッセイをひとつアップしていて、今朝はテロのニュースを受けるように(偶然かもしれないが)「いま、ここにある、自分の場所」を紹介していて再読。これはぼくはたびたび読み返してきたエッセイです。ぜひ読んでみてください。
で、話は変わって、今日は久しぶりに江古田へ。Vieillでは、ワークショップノコノコの展示がはじまっています。しむらまさと君も小さな作品で参加。『からすのチーズ』も相変わらず販売中です(Vieillの大山さん、いつもありがとうございます)。あの、詳しくはまた、と思いますけど、明るい作品が多いです。皆様ぜひどうぞ。
片岡義男の(気の遠くなるような?)アーカイブをはじめている「片岡義男.com」が、毎朝、エッセイをひとつアップしていて、今朝はテロのニュースを受けるように(偶然かもしれないが)「いま、ここにある、自分の場所」を紹介していて再読。これはぼくはたびたび読み返してきたエッセイです。ぜひ読んでみてください。
で、話は変わって、今日は久しぶりに江古田へ。Vieillでは、ワークショップノコノコの展示がはじまっています。しむらまさと君も小さな作品で参加。『からすのチーズ』も相変わらず販売中です(Vieillの大山さん、いつもありがとうございます)。あの、詳しくはまた、と思いますけど、明るい作品が多いです。皆様ぜひどうぞ。
2015/11/14
無力と祈り
今朝(日本時間の今朝、向こうは夜)パリで起こったテロが、行ったことのない遠い街のことなのに、全然「遠い」感じがしない。ということは、シリアの街もけっして「遠く」ないということ。私も「隣人」へ祈りを届けます。無力でも、祈ることはできる。
銃撃の現場になったひとつがコンサート会場であったということにも、底知れない無力さを感じてます。気づいたら悲しいというのをはるか通り越して…
銃撃の現場になったひとつがコンサート会場であったということにも、底知れない無力さを感じてます。気づいたら悲しいというのをはるか通り越して…
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