2014/08/14

ある種の呑気さ

 世事万端、当時まだゆったりとした人間の気風がのこっていて、それを封建的というなら、今日、主権在民とはいうものの、なにやら世知辛い首都東京のささくれ立った環境とは、別のものがあった。(桑原甲子雄)

 最近、図書館から桑原甲子雄の写真集を何冊か借りてきて眺めていた。満州紀行以外は、東京を写したもの。身近なものしか写さない人なんだ。『夢の町』という本には、昭和9年から19年までの写真(モノクロ)が入っていて、真ん中付近になぜか、この写真集の編まれた1970年代のカラー写真がちょっと挟み込まれている。ぼくが見ているのは、太平洋戦争に突入していく前夜の、東京の町の、人びとの、明るさだ。そしてぼくがなぜいまこの人の写真にすごく惹かれているかというと、ただ撮っている、といった感じの、ある種の呑気さと、町や人や時代にたいするまっすぐ(素直? 中立的?)な姿勢があるからだ。今夜は、写真ではなく、エッセイ「庶民の頭越しに戦争の足音が…」という短い文章を読んでいる。

2014/08/13

手が動く

 外での仕事を終えて家に帰ってきたら、子の相手をして、家事もしなければならない。妻子が寝てから、自室に入って仕事をする。すでに決まっている仕事もあれば、定期的な「作業」もあるけれど、これからつくらなければならない仕事もあり、いくら時間があっても足りず、もがいている感じ。でも、ある方がつぶやいていたんだけど、はじめてしまえば、手が動く、ということはある。手が動いている、その瞬間、瞬間はいいものだ。立ち止まって、状況を確認したり、現実を思い知るときには、ふさぎ込みたくなる。自分はもうダメなんじゃないか、と意味もなく(とも言えないのがさらに苦しい)思ったりもする。でも、そう思っているときには、「自分」が自分のものでなくなっている気がする(誰のもの?)。手が動いている瞬間、瞬間は自分のものだ。疲れると、子の寝顔を見に寝室へ下りていく。

 写真は、蚊帳のなか。毎晩、吊ってます。

2014/08/12

新企画

 昨夜の予告通り、新企画「ことばのワークショップ」について書きました。スタジオplusにしても、吉祥寺美術学院にしても、誰にでも公開のイベントのようなものではないのですが、大事にしていきたい時間で、ただ共に過ごす人以外の人にはわかりづらい部分が大きいと思うので、これから徐々に書いていきたいと思っています。

 さて、今日で、光海が生まれてきて5ヶ月がたちました。新米の父母が、ここまで頑張れているのは、家族をはじめ、周囲の人たちの応援のおかげ以外の何ものでもありません! いつもありがとうございます。もちろん、光海にも、ありがとうね〜!(また1ヶ月頑張ろうね〜、と言いながら今夜はちょっと手のこんだカレーをつくりました。)

2014/08/11

「予告」と「休息」

今夜、ひとまず『アフリカ』の話から、「道草の家の自由時間」に書いた。「言い訳のリスト──『アフリカ』第23号(2014年8月号)の予告」というの。なんだか、もっともっと書き散らしていかないと、調子が出ない感じ。徐々にやっていきます。明日(火曜)には、千葉県の市川市ではじめる「ことばのワークショップ」の話を書く予定。「予告」ばっかりでスミマセン。

 週末にことのはさん(妻)からSOSが出て、ちょっと疲れがピークにきてるみたい。光海(赤ん坊)も、なんだか泣きすぎて疲れている感じだし。今日は、ひとまず奥さんのケアに費やした(短い時間でもひとりの時間をもってもらったりして)。ぼくも本当は休んでいる場合ではないのだけれど、育児や家事の合間、合間に進められる自宅仕事をこなしつつ… 夜は、交代で銭湯へ行ったりもした。写真は、深夜ごろ、空を見上げたときの月。スマホのカメラではこれが限界。実際には肉眼でくっきりとクレーターの海が見える、澄んだ夜空です。

2014/08/10

再び「みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?」

 事実性のある現場は、ひとつの価値観で簡単に測れるもんじゃないです。で、一元的に成り立ってはいない世界の方が、実は広いんじゃないでしょうか。(江弘毅)

 数日前に「この週末のうちに…」と書いていた、『アフリカ』をはじめとする最新情報は、明日・月曜に、ということにしましょう。週末を乗り越えて、へとへと、くったくたで、今夜は光海を寝かしつけようとして自分が眠っていた。
 数日前に急に、2010年の1月の奈良を思い出して、『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』を読み返している。今夜は、江弘毅さんのパートを。
 「あいつは一緒にいないと困るよね」を大事にできるような「場」や「仕事」をつくっていこう。

2014/08/09

あるメッセージ

 そういう一つの可能性として、私たちはこの苦境に手ごたえを感じているところです。(向谷地生良)

 仕事仲間が人生の大いなる危機に直面している。と、いうことにまぁしよう。でも、ぼくには、その具体的中身を知らされないし、それを知っている人がいても、教えてほしいとは思わない。彼の属している組織は組織で、順調に問題を抱えつづけていて…(以下省略)。本当の問題は、彼らが、彼らの抱えている本当の弱みを、外へ向けて発信できないということではないか、とぼくは思う。──自分が使い捨てにされるとわかっていて、よい仕事をする人をぼくは知らない。ホンモノの期待には、人は応える、というか、応えてしまう。ぼくは自分のことを、応えてしまうような期待に、しっかり応えて進んでいけば何とかなると思う。そして、のっぴきならない状況に陥った友には、人生いくらでもやり直せる、ただ、今度は強さではなく弱さを誇ってほしい、と思うのだ。いつでも会いに来て。などと気休めは言わない。でも、いつでも会いに来て。

2014/08/08

ながい、ながい時間

 本日、『アフリカ』の23号を入稿。前号から、ながい、ながい時間だった。詳しいことは、近々。

 いろいろ書きたいところだけど、今日はこれからアトリエ。この週末には、サイトの更新やら、新企画の発表(?)やら、今後の抱負やら(何それ?)書いてみたいと思っています。左の写真は、微かに『アフリカ』の予告入り。