2017/04/04

つづく

 3月は丸々、このブログの更新をお休みした。一度は止めて、子が生まれるのを機に再開した「道草のススメ」だけれど、もともとは府中にいたころ毎日の生存確認のような意味合いで始めたもので、再開から先々月までの分は「後日談」のようなものだと思っていただけたら、大きく外れてはいないような気がする。
 ちょっと考えて、ウェブで書く場所を少し整理することにしました。今日からは「道草の家、の2階」(note)で書いてゆきます(アカウント自体は「note」自体がスタートした2014年から存在はしていた、少し書いたものも残っていた)。なので、つづきはそちらで(場所を変える理由の一部は「つづき」に書きました)。
 Bloggerとは10年の付き合いでした。ありがとう。そして、ごきげんよう!

2017/02/28

「ゴゥワ」の実と共に

 皆ここで何を祈り続けているのだろう。(中村広子『ゴゥワの実る庭』)

 今年もあっという間に2ヵ月が過ぎてしまった。3月は息子の誕生日があり、それが過ぎると、もう本格的な春だ。4月や5月の予定も、少しずつ埋まってきている。ぼくは日々の仕事や生活の傍らで『アフリカ』と『ゴゥワの実る庭』の準備を少しずつやっているが、なかなかスムーズには進められず、もどかしい思いをしている。『ゴゥワの実る庭』は、2010年から2012年にかけて『アフリカ』で連載していた旅の記録だが、ぼくはその「書かれた旅」の感触が忘れられなくて、ずっと手もとに置いておきたい「本」なのだけれど、1冊にまとめられていないので、まとめておきたいというわけ。

2017/02/27

対照的な姿勢〜横浜美術館と篠山紀信

 今月は横浜美術館が「写真美術館」と化していた。特別展の篠山紀信が表面で、裏面は横浜美術館の写真コレクション展、裏面の充実ぶりは、「主に有名人を撮った写真をばかでかく見せる」という1アイデアに固執したような表面を軽く凌駕していた。1アイデアだけで押し切る、というアイデアで(おそらく)つくられたものが、すごく良かったという記憶はぼくにはあまりない。ただ、「篠山紀信」というブランドを横に、手持ちの駒で何が出来るか、というので横浜美術館のキュレーターは燃えたかもしれない。写真による「昭和史」であれ、「都市」であれ、「前衛」であれ、それをどう見せるかという工夫には出し惜しみがないように見える、そのアイデアを「篠山紀信」で(も)やることはじゅうぶんに可能だと思ったが、巡回展である「篠山紀信」はそんなことをせず「ただ見てくれたらいい」という姿勢を崩そうとしない。それは彼の、広告写真家としての願望なのかもしれないが…

2017/02/26

焚火

 今日の外出支援、焼き肉をやるというので誘われて、三浦海岸まで出かける。行った先は、質素な別荘のような場所。竹を刈って焚火をしながら、牛肉や海老を焼いて皆で食べる。普通に美味しい。という、その「普通」って何だろうか。
 海からは少し離れた場所だが、微かに海の気配を感じる。そこでは皆、饒舌になることもなく、ゆったり過ごせていたような気がする。そんな場所と時間が貴重に感じた。

2017/02/25

ご馳走

 不思議と、これが「ご飯」なんだな、とわかる。「パパたべて」と言われる。

2017/02/24

分岐点から

 数年前に某所で毎日のように顔を合わせていた人と、昨日は久しぶりに会って飲んでいた。いま、現在進行形で動いている仕事や物事と関係のないような話が遠慮なく出来る友人の存在も、ありがたい。数年前に、と言ったが、数えてみると、2011年だから、もう5〜6年も前になるんだ。2011年は、個人的にも、大きな分岐点になった年だった。
 野毛の「もつしげ」で飲み食いをして、伊勢佐木町のバーで飲んでいたが、最後に飲んだ二杯の強いお酒(そのお酒の名前は失念)が効いて、今朝は、起きたときにはそれほどでもなかったのに、だんだん気持ち悪くなってくるという妙な二日酔いになった。

2017/02/23

「春」を揚げる

 今朝はまた春の嵐だったが、妻が少しだけ庭へ出て、「春」を少し摘んできてくれた。それを油で揚げて、頂き物の妻有(つまり)蕎麦を茹でて一緒に食べた。妻曰く「うちが一番(経済的に)苦しい季節に出てきてくれる」──そうですネ。